ブログ引越しにより2010年8月以前の過去記事引用リンクは旧ブログのHTML簡易表示となります。旧ブログページ上ではコメント等一部機能は使用できません。
<< July 2020 >>
SA MO TU WE TH FR SA
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最新記事
retour

retourRetour.png
本店blog『retour&Retour』

VCroomOrder

空室調査依頼フォーム
規定はこちら/予約制
他社”併用”NGです


■ gmail等迷惑メールフィルター搭載アカウントからの問い合わせについて
フィルター誤判定にご注意ください。

■空室調査は「予約制」です
スケジュール等確認が取れない場合ご依頼はキャンセルされます

retour_nb.jpg

LINK
RELIGARE・DADAcafe
エイムデザイン研究所
aoydesign
ペアシティシリーズのTNワークス
阿佐ヶ谷アクロスシティ
悪徳不動産屋の独り言
pieni kauppa北欧ブログ
Loule
Miyoko IHARA &Junya WATANUKI WEBSITE
Profile
kagewari/iwahara(54)

NPO『HOW's』(活動停止)元心理部門コンサルタント(東京カウンセリング責任者)
有)retour東京』web部 『Kagewari精神分析相談事務所』運営責任者
retour&Retour』・『Kagewari精神分析沖縄分室』ブログライター
・未承認前提の”コメント欄の私的利用”はルール違反でありSPAMと見做し処置をします
(削除を前提とする投稿も同様です)

・SPAM対策として一部キャリアからの投稿がIP規制の対象となっています

・コメント欄は承認制です
※一定期間を経過した記事のコメント機能は利用できません
 以下告知参照
 「コメント欄管理の告知」

(現在は概ねコメント欄閉鎖の方向で運営してます)
RDF Site Summary
RSS 2.0

デザイナーズの在り方を考える

2006年11月16日

Wikipediaによると
デザイン(design)とは、ある対象について、良い構成を工夫すること。
とある。
一般に良く知られる「造形デザイン」は、狭義の概念であって本質的にdesignってものはフィロソフィーでもある。時には固定観念を覆し新しい”構成”を提起していく攻撃性も時として必要になる。
デザインコンセプトなるものが標準化する事は、即ちデザインの構成の創造性の後退でもあってその時には「次なるデザイン」が求められているワケだ。
逆さまから考えると、標準化しない”ユニーク(唯一の)”はそのデザインの普遍性でもあり、デザインにアイデェンティティーがあるとするならその「標準化しない普遍性」に他ならない。

この話もちらっと考えてみるとパラドックスになっている、
何故って社会的認知(一般化)としての評価が無いものに生存意義を見出すなら、その生存意義にはそもそも評価がついてきていないって話になるからだ。
一見そんな風に見えがちなんだけれどもーーここは意味が違う。
”ユニーク”は、インディペンデェントな個性に呼応するからこそユニークとして実存するのだから、それは社会的評価のアンチテーゼであってむしろ自然だからだ。

何回か同じような話もこれまでしてきているだけれど「通称:デザイナーズマンション」として一般社会に認知された形で市場に流通ししている在り方は、designって概念から外れてしまう。流通している意味は「デザインに留意したちょっとカッコいいマンション」なのだしそう解釈もされているんだと思う。
同時にここでのデザインコンセプトは狭義の「造形デザイン」を意図したものだ。

エポックだった『螺旋階段』を考えてみよう、
アイデアとしては、一戸建風の内階段的造作とした場合そこには壁の造作も必要になり設計効率としても有効床面積は後退するし、室内の開放感はぐっと後退してしまう。「この階段をリビングからダイレクトに螺旋にしたら」って発案は”新しい構成”でもあったし同時に「=仮想吹き抜け」となる後日談はデザイン上のチャームでもあった。
ところがその社会的評価は「室内に螺旋階段があるなんて」みたいに、なんてーーのかナンセンスな面白造形に偏ってしまって知らない間に螺旋は「デザイナーズ風を演出するためのギミックのひとつ」でしかなくなった。
そして又そこに商業的色気なんてものが見え隠れすれば一気にdesignの在り方そのものが風化してしまう(「意匠デザイナーは金をとっちゃいかん」なんて話じゃないですよん)。
そりゃ縲恣柾奄フデザイン上の有効性を認識してデザインされていれば「同じ螺旋でも螺旋違い」だから、これまた「螺旋だからといって螺旋とは限らない(笑」。

■ここで再び”ユニーク”ってものを再考してみよう
そもそも哲学的に考えても「ある対象について、良い構成を工夫すること。」の”良い”って評価についていの普遍性を担保するアイデアは存在しないし考えても意味は無い。ところが多様な個性の在り方は時に一方にとって良いことは他方にとって良くないことであったりするのだから、個としてのユニークさそのものを”良い”と評価(尊厳の在り方を希少性からなぞえらえると)し、その実存に対してオリジナルな構成を工夫することがdesignである。
価値の交換性の無さは、価値の固有性の高さに比例する、
簡単に言うと一般的評価は「なんだこりゃ、なんか変だぞ(笑」と思えないとデザイナーズとは言えないのじゃないか?
魂の入らない器はスーパーの安売りと違いが無い。
デザインってもっと気楽で自由なものなんだと思うけれど、建築物みたいなコストのかかるものに導入するにはハイリスクなんであって、建て主が自分自身のオーナーシップとして「アリ」と判断する個人的判断無しにはやっぱ成立しない(のでデフレ以降本物のデザイナーズは減少している)。

ライフスタイルそのものがデザインされると解釈してもいいのだから、そこは造形デザインに偏る事無く「こんな典型的な和室のアパートで、こんな暮らしをっ」な発想こそデザイナーズなのであって「通称:デザイナーズ」は商号のようなもので、暮らしをデザインするのはむしろ入居者のオリジナルなアイデアなんだと思う。100人いれば100様あるヴァリエーションはそのユニークさにおいて普遍的なんだし、
なものだから「改装希望に過ぎる」発想は、造形デザインによった狭義のアイデアに拘束されてしまってなんか窮屈、
審査落ち寸前なのに高い賃料の部屋に暮らしてしまったり、高額所得なのにボロアパートに暮らしたり、木造アパートはデザイナーズマンションより『粋』だと主張したり、自由で気ままな方向性が自分自身の個性を”ユニーク”として認めるセンスなのじゃないかと思う。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
posted by kagewari/iwahara at 09:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 住まいのキーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック