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シングルライフの心理学

2007年09月20日

はてさて、ヒトはそもそも何故に”ひとり暮らし”をするのか?
ここ高齢化時代を例にとっても、福祉先進国だな北欧なんかでは『一人暮らしをする権利』なるものが人間の尊厳や人権レベルで論議される。
心理学的にいっても、「相席・自由席・共同部屋」に比して「個室・指定席・自分専用の部屋」の方が快感原則的にも快であるのは、これ動物的本能レベルだといってもいい話。
草食動物や社会性を武器に狩をする狼にしたって、好きで群れているのじゃないし、魚群にしてもその群れが群れであるところは捕食魚に対抗する一面や、渡りを行う鳥と同様に生存競争があるからで、個体で飼われるペットの寿命がワイルドに比して倍近い伸びを示す事からも”できれば一人暮らしで”な世界が快に属する項目であるのは間違い無い。

人間の場合、その”ひとり暮らし”はもっぱら独立や自立ってキーワードに関連付けられるんだけれどもこれも子供の多い時代の連想に過ぎなくて、現代高齢化社会から考えれば”ひとり暮らし”は単純な独立志向だけでイメージするものでもなくなっている。
福祉や年金問題含めて、ここには社会的ネットワークの中での在り方をより先取りして論議されてもおかしくないのだし、現実若い人にとって”ひとり暮らし”が自立を意味するのは確かだけれども、賃貸住居って社会のファンダメンタル無しにこれを論議する事もこれまたナンセンスなのだから現代社会で見ていくなら「そこには何らかのネットワークとの関連」を意図したものと考えてもいい。
そもそも自立する上での就労ってその大半が、就職してって形だしね。ここでも”自営で”って剛の者はそうそう多くないし、それを最初から志向するにも無理あるでしょう。
事実”自営”だとするなら、取引相手含めての社会との関係性(必ずしも社会適応を意味する必然性は無い)は、重要になる。

建築デザインの分野でもそれこそ60年代から、この都市文明論的都市計画は語られていて部屋って定義を考える上で「実家のコンパクト版」なるイメージだけではどうにも無理があるって部分からあれこれ試行錯誤もされてきた。
ミニマルコンパクトな思想もそうだし、ある意味昨今「事務所系」と呼ばれる1Rマンションもひとつの回答であった。
そんな中で人生設計なるもの見ていくと、結婚し出産を選んだとしても”家族的人数”を維持するのは少子化も勘案すると長くて25年がベースであって進学等ひとり暮らし開始以降の年数約70年の3分の1に過ぎない。非婚を選べばガチに100%だし、
多産の選択含めて、一族志向のある世帯はむしろマイナーで貴重な存在になる昨今(ここの員数合わせ的な二世帯住宅ってのが流行った時期もあったけれど)、住居のメインをシングルライフで考える事は”本筋”なんだと思う。
ここでやたらとファミリー的在り方を既成事実であるかのように論議しちゃうのはいくらなんでも東京辺りでは”ムリ筋”。

であるならば、ひとり暮らしにおける”自分の部屋”ってのは終生ってイメージをからませて考えてもちっともおかしくないのであって、どんな住居を選ぶのかって、これはよっぽどその人のレーゾンテートルやアイデェンティティーなるものに関わる重大事項なのであって、「なんか縲恪ナ近の部屋って”みんな”フローリングぅだよね縲怐vなんてなノリで決めていいものじゃないでしょう。
ここで自分なりの考えってものが、淡白だとそのまんま長いひとり暮らしの人生を利益性の高いメディア的発送にふにゃふにゃ流されるばかりになってしまう、40越した人間だから言っているワケじゃないけれども少なくとも「後で困るって(笑」、

心理学的に言えば、その真実味にどうにもこうにも怪しさが残る『箱庭療法』なんてーのがありますが、んな話よりよっぽど「どんな部屋でどんな暮らししているの?」と、その人の部屋を覗いて見るほうがよっぽどその人物の自我の在り様がわかるってもんでごぜんせんか。
「そもそも自分らしくの”自分(自意識)”」ってものを”自分”は現実の世界の中から求めてきただろうか?
封建主義や全体主義ってものがこの世から絶滅していく中で、個の自由は=ネットワークの中での実存である構造の中で(昨今自家用車も流行らない)、自己の表現を目論んだ自由って奴をどこまでコンセプトとして詰めているだろうかって、在り方が試されてもいる。
勝ち組み負け組みなんてーな団塊が考えた台詞が、えらい勘違いだったのはその”自由”なる部分が抜け落ちているからで、ベーシックに”何を選ぶ自由なのか?”が無い事には何を言っても空論になる。
部屋を論議する上で、やれ格安だとか敷金の問題で訴えましたとか大家さんは不労所得だとか今時プロレタリアート革命みたいな論法を持ち出す時代錯誤な話しをしても、そこにあるのは”選択するべき自己を外部のキャッチコピーに依存しているに過ぎない”。

自由と民主主義的方向性は、どうにもこうにも避けられない文明のベクトルなのだから、市場の透明性は必然であって、何も東京ルールは借りる側の権利(法的には十分保護されている)を擁護するためにあるのではなくて、紛争が起き易い不透明さを明文法的に整理しようって話なのだから、考えなくちゃいかえないのはよりダイナミックでポジティブに切り込む”発想”であるべきなのじゃないか。
賃料なんてものは、「全然狭くてもいいじゃん」や「阿佐ヶ谷ならメチャ銭湯あるし」と思えば5千円安くなんてケチな事言わず数万円規模で賃料を安く抑える事ができる。
条件を吊り上げてギリギリ安くな狭い論議に偏るとなんだか技術論みたいな狭い選択肢の中で”高得点が欲しい”みたいな、なんていうか偏差値的発想のような、、

「断じて木造ですとも」とか「日本で一番狭いRCに憧れが」とか「デザイナーの名前のわかるデザイナーズ志向」だとか「畳のある2DKを東陽町で」とか「江戸っ子なら入谷△地帯に」とか「昭和50年以前限定」等、選択肢が狭くなるのじゃなくて選択肢そのものを”選んでいる”な方向性があっての”勝ち組み”だと思う。
いや「勝ったも同然」と言えるのじゃないでしょうか(笑

「僕は思うんですよ、壁一面に古書を並べてみたい。僕ヵ縲恤カ系ですから」な時に、それは文豪を思わせる和室の方がいんじゃないかとか、そこはかとなくイメージされる世界があるじゃないですか、
「私ね、なんていっても三食作るのが意地って言いましょうか、だったらお昼代も浮くじゃないですかここの近所は野菜も安いし、1万高くてもいいのじゃないかと確信しました。冷蔵庫も二台あるので1DKでお願いしやす」な時にはそれは無駄に広いので有名な2DKから探しましょうかってイメージされる世界があるんだと、
例のミニマルコンパクトにしても、「16u”以内”の1Rマンション希望なんですよ縲怐A全然心配無いんです。私はそれに合わせて家具も全て”ちょっちミニチュア”なんですよー」な時には、ここは10uに挑戦しませんかな問いかけに打てば響くような世界もあります。

あまり知られていませんが、「非完全振り分け(ぐるっと回る型)2DKは巨大なストゥディオと等価だ」なんですが、2DKの問い合わせってほとんど完全振り分け希望だったりで何か窮屈なところがあると(見方を変えると非完全振り分け2DKは1LDKより格安なミドルシングル向けの間取り)、

やたらと長くなってますが、この心理的に”何”があるのかと言いますと、
シングルライフを”今だけ感覚”というか”所詮一時の仮住まい”的に考えすぎていやしなかと思うんですよね。その背景には結婚願望だけでなく、どこかワンランク下がる価値意識が流れているように思います。
確かに将来の希望賃料なんかは各人違うでしょうから、理想を追えば「いつまでもこのランクの賃料ではなく」な志向との比較で今の暮らしを”ワンランク下がる価値意識”で見てしまう(おそらく「だからこそ」上位のスペックを無意識に求めてしまうのじゃないか)事も確からしい気もするんですが果たしてそうでしょうか?
子供部屋だろうと下宿だろうと現在のアパートにしても将来所得が上昇した時の部屋だろうと、もしかして結婚して一戸建ての書斎だろうと、リタイア後のスローワークSOHOだろうと、
常に自分の部屋って”そこに在る”。
「どんな部屋を探そうか?」それって”一国一城の主(或いは一石一城の主)”の逆説で、現代社会の城とか砦とかセーフハウスに違いが無いのだと思う。そこで自分の部屋を偏差値的に探してしまうと社会のシステムの中、自分自身がそのヒエラルキーの一部である事を選択してしまうのであって階層社会からネットワーク型社会への変遷の今、それは『共同幻想の名残』として時代に逆行しているようにも感じる。

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posted by kagewari/iwahara | Comment(0) | TrackBack(0) | 部屋探しの心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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