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阿佐ヶ谷住宅をめぐる風景(後編)

2007年10月17日


阿佐ヶ谷住宅を考える上で、以前紹介したポータルサイトのコラムに参考となる考え方がとてもわかりやすく説明されている。
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容積率と不動産の価値(伊藤英昭:不動産投資コラム)
では容積率が小さいと、本当に不動産価値が低いといえるのだろうか?住環境という側面で見ると、容積率が小さい地域の方が、敷地面積に対する建物の規模が必然的に小さくなり、庭などの空間が多くなる。これによりゆったりとした閑静な住宅街が形成される。日本の高級住宅地と呼ばれている地域はすべて容積率が小さい。いわば容積率が小さい事が住宅地としての環境価値を高めているともいえる。

わが国の土地、および建築物は私有財産でありながら非常に公共的な側面を持ち合わせている。あまりに収益性にこだわって法令の範囲だから、収益が得られるからといって、好き勝手に大きな建物を目いっぱい建てることがいいことなのだろうか。地域にはそれぞれの文化があり、町並みがあり、地域のコミュニティもある。

不動産はお金では買えるが、町の文化、景観、歴史はお金では買えない。住宅、オフィス供給過剰の今、不動産の本当の価値を見直す時代がすぐそこに来ているのではないだろうか?

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重要なのは、これが「不動産投資コンサルタントの意見である」って事で、
分譲マンションの販売や、住宅スノビズムとも言うべき論議ではお目にかかる事ができない。高層マンションを短絡的に高級であると考え(それは確かに都心部における文明構造の”一部”である事は間違い無いけれど)、根拠の希薄なキャッチコピーが巷に溢れている。
メディアの在り方としても、一面的な高級感なるものを煽るかのような論調も多いし、環境問題の特集がある時にも、生活に及んでそれが論議される事は滅多にない(将来的には環境税ってアイデアだって十分合理的な政策論議なのだし)。

生活の豊かさって言っても個々人考え方は当然違う、
だからこそ「緑が多くて、そこに平屋式テラスが並び」って”デザイン”が選択肢としてもっとあっていいのだし、そこにステレオタイプの高層マンションしか描けないのならそれは安易に過ぎるだろう。
中高層マンションの在り方ってものは、ひとつの考え方として重要だし有力でもあるけれどそれは「選択肢のひとつ」なんであって絶対じゃ無い。ヒートアイランド含めて”建築デザイン”として前回の記事にある宮崎的アイデアをここもひとつの考え方として年頭に置くのは高度な先進国にとって常識と言っていいのじゃないか、




阿佐ヶ谷住宅のデザインが、昭和33年当時の”前衛デザイン”として日本のコルビュジエ派により実現していた現実を私達はどう捉えたらいいのか?
それが近視眼的な発想で高層化するのなら、果たして時代は先に進んでいるのだろうかと疑いたくなる。今東京の住宅を巡る世論の実像はどんな形なのかって実例で言えば、retourあたりのアクセス統計では(ウチの会社はちょっと個性的な人が多いってのも事実だけれど)「ダントツで格安木造一戸建賃貸」が強い(数も少ないから成約事例は必ずしも多くないけれど)、問い合わせで言えば「レトロマンション」が強い、
ペラペラの新築高層マンションによる再開発の期待って、必ずしもマジョリティーとは言い切れないでしょう。確かに高級で内容伴った腰の入ったマンションはある、それはそれで厳しく内容を問われるものであって、そもそも何処に建ててもいいってものじゃない。
働く上での都市デザインとしては高層マンションが必然である状況ってある、しかしそれは憧れの対象とか軽薄な豊かさをメディアが煽るようなものじゃない。それって所得の高低がライフスタイルとして”選択”されるものだって現代社会の本質論に関わる話で、必要なものは必要だけれど、その模倣を品性を失ってジャカジャカ建ててもいいなんてものとは思えない。

古築マンションのリノベーションって方向性も、そんな背景から来ているものだし、先進国だから低層って都市計画があってもちっとも不思議じゃない。
街を歩くと「高層マンション建築への反対看板」よく見かけるけれども、デザインする側のアイデアってものがしっかり文化として成立している社会なら、そんな看板は最初から無い筈で

この阿佐ヶ谷住宅が語りかけている世界は、
どんな世界だったのだろう。







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posted by kagewari/iwahara at 06:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 東京建築日和”Teorema” | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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