建築物には耐用年数ってのがあります。
耐震性能などの問題もあり、何から何まで温存するべきという論旨には無理があるし、
西新宿のように大成功した再開発もあります。
それでも、思うんですよね。
ヴィンテージマンションや昔からある商店街の景色などいに代表されるように、長くそこに実存した事そのものの価値ってあるじゃないですか。
山も海も経年変化するのが自然ですから、建築も倒木更新されてしかるべきなのだと思いますが、
「まず残すべき」という抵抗が原則なのではなかろうかと思うのです。
ひょっとすると、これは医療の外科手術などの選択をめぐる思考にも似ているのかも知れません。
何が正しいとか勿論そういう意図は無くですね、
着想として「まず残すべき」という考え方も忘れちゃいかんと、このような話です。
■日本特有の木造建築などは、江戸時代などの伝統に由来するのかもしれませんが(火事となれば容赦なく全部壊し予め用意されてるキット化された資材で速攻再建)、
どんな建物にも”生存権”のような自然権あると思うのです。
人格として認めようって大げさな話では無いのですが、
「まず残すべき」って着想を忘れてしまうと、あっちの方向に行くリスクも高いよみたいな。
(人為的に壊す場合)何を倒木更新するのか、その意味を認識していないと「まず更地にしたかった」みたいな事にもなり兼ねません。
それじゃ再開発の”再”が何の”再”なのかわからなくなりますよね(笑
「ここには商業地の歴史が連綿と」みたいな文化的フラグは、
なにがしか土地に刻まれており、
(風水しゃありませんが、歴史的に”そこだった”条件は立地環境評価だけに留まりませんから)
誰もがその歴史的経緯を全て認識する事ありませんので、
うっかり見落とす事もあるだろうから「まず残すべき」から考えておくのが筋論かなと。
なんとはなしにですが、
リノベーションや、建物自体を再生するリファイニングなんてのは日本人の文化的背景に沿うものなのだと思います。その全てを肯定的に評価するワケではありませんが、住居や店舗もにも(生存権的な)魂アリみたいな(オカルトちっくで恐縮ですが)、見方も大事ではないかと思うところです。
●その反対に
個人的ジンクスなんですが「モノが壊れるといいことがある」ってのがありますが
捉えようによっては「モノが壊れるのは何かの兆し」なのかしらと、
それもまた自然の流れなのでしょうね。
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