同感ですねぇ(笑
この話は以下のニュースの中の”その又引用”に登場するお話です。
『ブログ閲覧の鍵は「習慣」:読者の行動様式に関する調査結果』
(一部抜粋)
カリフォルニア大学アーバイン校の研究者たちは先頃、15のブログの読者を対象にした調査報告書を完成させた。彼らがどのようにコンテンツを消費し、ブログ、さらには不健康きわまりない生活を送るその作者たち[リンク先の記事によると、ブログ・ジャーナリストは高ストレスで早死にする傾向があるという]と交流しているかを明らかにしたものだ。
(WIRED NEWS 2008/04/11)
ここで引用されているリンク先の記事(英文)は末尾に置いてありまーす
実際の上記ニュース記事の要旨的には「ブログって何だろうねぇよくわからない」な話で記事中で引用されているNYタイムズの記事も「何やっているんだろう、まだそれで広告収入のある人はちょっとは動機がわかるけど・・・(海外の方がブログメディアをビジネスと関連付けたがる)」な内容です。
でですよ、ブログ大国たる日本でこの「不健康きわまりない生活を送るその作者たち」はバタバタと死んでいるんでしょうかと?こうなるワケです。
「日本ってブログ大国?」
って、みなさんこの辺のレポートは割と有名な話です
↓
英語を超えた日本語ブログの投稿数,その理由は?
ブログ検索サービスを提供する米テクノラティが4月5日に発表した調査結果によると,2006年第4四半期は投稿数で日本語ブログが世界最多だった(参考リンク:「The State of the Live Web」,図)。実に世界のブログ投稿数の37%が日本語によるもので,事実上の世界標準語である英語や,母語人口で世界最多の中国語を抑えての1位である。世界的にはもちろん,インターネット人口の点から見ても日本語がマイナー言語であることを考えると,これは快挙と言えるのではないだろうか。
(ITpro 2007/04/16)
少なくとも私はまだまだ元気にやっておりますが(ブログは2004年の3月からなので、書き始めてからかれこれ5年ちょっとか)、ブログ3本書いていて(掲示板のテキスト検索用管理用に立てているの入れれば4本)
「いっぱいいっぱいです」
続きを読む
ブログ書いていると早死にするらしい。
2008年04月16日
SPAMメール関連続報、
2008年04月15日
いやいや驚きました。
本日とんでもない事がおきました(ってもう昨日かっ)、
ここのとこの対策が項を奏して非常に地道なSPAM撲滅対策は成功していたところだったので今回のは度肝抜かれました。
(ココとか)
http://kagewari.cside.com/blog/2008/02/spam-2b83.html
(ココの話とか)
http://kagewari.cside.com/blog/2008/03/spam-8e19.html
こういう事を書いているのが又いかんのかなと思いましたが、いえいえそういう簡単なものじゃないのです。
書いても良さそうな経緯のみさらっと書いていきますと。
発生したアカウントは、ブログやHPに堂々と顔を出している代表メールじゃないのです。
ここがポイントだったのかも、
あるフォームメールに使用しているアカウントで、特定の要望に備えてHTMLにフォームメールのくせにmailto:の表記もあったのです。当然これはクローラー方式でアドレスサルベージしているSPAM名簿系にひっかかりかなり迷惑メールも着ていたのですが、ディレクトリの階層が深いせいか「ま、それほどでも」な感じであったのでここ放置していたんですね。
しかし、上記の「対策週間から強化月間へ移行だ」とばかりサーバにあるフィルターの設定操作できる方はそのフォルターを○○しつつ、同時に前からメンテナンス時にはなんとかしようと思っていた上記のmailto:をHTMLからサクッと削除したワケです。
このとき若干迷いがあって「ついでにアカウント毎削除して新規に作成したアカウントに差し替えよっかな縲怐vと、、
思った。
思ったんですが(笑
なにせ根性が不精なもので「それは又今度にするか」とそこで問題解決と考えていました。
当然表記が消えた事によるSPAM総数の減少を期待して数日後。
続きを読む
本日とんでもない事がおきました(ってもう昨日かっ)、
ここのとこの対策が項を奏して非常に地道なSPAM撲滅対策は成功していたところだったので今回のは度肝抜かれました。
(ココとか)
http://kagewari.cside.com/blog/2008/02/spam-2b83.html
(ココの話とか)
http://kagewari.cside.com/blog/2008/03/spam-8e19.html
こういう事を書いているのが又いかんのかなと思いましたが、いえいえそういう簡単なものじゃないのです。
書いても良さそうな経緯のみさらっと書いていきますと。
発生したアカウントは、ブログやHPに堂々と顔を出している代表メールじゃないのです。
ここがポイントだったのかも、
あるフォームメールに使用しているアカウントで、特定の要望に備えてHTMLにフォームメールのくせにmailto:の表記もあったのです。当然これはクローラー方式でアドレスサルベージしているSPAM名簿系にひっかかりかなり迷惑メールも着ていたのですが、ディレクトリの階層が深いせいか「ま、それほどでも」な感じであったのでここ放置していたんですね。
しかし、上記の「対策週間から強化月間へ移行だ」とばかりサーバにあるフィルターの設定操作できる方はそのフォルターを○○しつつ、同時に前からメンテナンス時にはなんとかしようと思っていた上記のmailto:をHTMLからサクッと削除したワケです。
このとき若干迷いがあって「ついでにアカウント毎削除して新規に作成したアカウントに差し替えよっかな縲怐vと、、
思った。
思ったんですが(笑
なにせ根性が不精なもので「それは又今度にするか」とそこで問題解決と考えていました。
当然表記が消えた事によるSPAM総数の減少を期待して数日後。
続きを読む
『現実の部屋探し(完結編)』
2008年04月12日
本筋の”非公開故に個人的志向を最大に押し出す”なる本格派の「拘りの部屋探し」を考えてみましょう。
今回のテーマの初稿でちょこっと触れているんですが、
心理学的に言うと「リアリティーとリアルは大きく違う」のです。
そりゃ言葉としても違いますし、意味も違いますから違うんですが(笑
なんか似ているので、同じような事かと勘違いされるケースがあるので、「リアリティーとリアル」から話を進めてみます。
リアリティーは”ティー”なんですから現実的の”的”ですよね。
「○っぽい」の「ぽい」で、「○らしい」の「らしい」も近い。
つまり厳密に言えば『フェイク』なんですよ。
「素晴らしい演技だね、リアリティーがあるよ」
ここ現実世界では歩留まり的認知というか『無難』を意図してリアリティーが使われる事もありますし、「実現可能性」を「実現する様子が想像つく(アリアリティーがある)部分から→実現可能性の高さの度合い」として使われる場合もあります。
しかし底流に流れているコアな要素は「容易に想像が付く無難さ」になるでしょう、
リアリティーと言う言葉には意外性やハプニングの要素はありません。
演技の話から考えても、本気で”リアル”だと
「その神気迫る演技はリアリティーを”超えて”」と表現されます。
言葉ってものはホントに面白いもので、
「事実は小説より奇なり」「野球は筋書きの無いドラマ」
これはリアル(現実)ってものの”予測不可能性”という特徴を語ったものです。
困った事に「リアルってものはリアリティーな世界には存在しない」とも言える。
リアリティーは作為されたり想定される企みであり、
リアルは「えーなんでっ」「それもアリ?」な現実の話です。
現実は実現可能性の想定されない世界にある事になるので(笑
(不確定な未来の方角向いているからとも言えます)
やどかりが、カラを変えるように「変化した現実に予測不能部分を折りこんだ賭けをする」のが現実って事になります。
一番わかりやすい例だと
「思うに商店街好きの僕としては、○○町に住むことによりほぼ100%外食になるなこりゃ」
ここの『現実の部屋探し』とは?
続きを読む
今回のテーマの初稿でちょこっと触れているんですが、
心理学的に言うと「リアリティーとリアルは大きく違う」のです。
そりゃ言葉としても違いますし、意味も違いますから違うんですが(笑
なんか似ているので、同じような事かと勘違いされるケースがあるので、「リアリティーとリアル」から話を進めてみます。
リアリティーは”ティー”なんですから現実的の”的”ですよね。
「○っぽい」の「ぽい」で、「○らしい」の「らしい」も近い。
つまり厳密に言えば『フェイク』なんですよ。
「素晴らしい演技だね、リアリティーがあるよ」
ここ現実世界では歩留まり的認知というか『無難』を意図してリアリティーが使われる事もありますし、「実現可能性」を「実現する様子が想像つく(アリアリティーがある)部分から→実現可能性の高さの度合い」として使われる場合もあります。
しかし底流に流れているコアな要素は「容易に想像が付く無難さ」になるでしょう、
リアリティーと言う言葉には意外性やハプニングの要素はありません。
演技の話から考えても、本気で”リアル”だと
「その神気迫る演技はリアリティーを”超えて”」と表現されます。
言葉ってものはホントに面白いもので、
「事実は小説より奇なり」「野球は筋書きの無いドラマ」
これはリアル(現実)ってものの”予測不可能性”という特徴を語ったものです。
困った事に「リアルってものはリアリティーな世界には存在しない」とも言える。
リアリティーは作為されたり想定される企みであり、
リアルは「えーなんでっ」「それもアリ?」な現実の話です。
現実は実現可能性の想定されない世界にある事になるので(笑
(不確定な未来の方角向いているからとも言えます)
やどかりが、カラを変えるように「変化した現実に予測不能部分を折りこんだ賭けをする」のが現実って事になります。
一番わかりやすい例だと
「思うに商店街好きの僕としては、○○町に住むことによりほぼ100%外食になるなこりゃ」
ここの『現実の部屋探し』とは?
続きを読む
『現実の部屋探し(拘り編)』
2008年04月10日
部屋を探しているだけと思ったら大間違いなんですよ。
選択しているのは、セルフイメージそのものなんだって事です。
「へー○○君の部屋ってこういうところなんだ」
バレバレですよね、
どんな部屋を選択するのか?
ここには「そもそも部屋探し等頓着しない」って選択も含まれるんであって、時計や車やバッグ等のデザインの自由度も高く趣味性優先でも機能的にかなり幅のあるものとは違って、理屈抜きの生活重視って意味では余計にその人なりも想像できるとも言えます。
■ここで間違っちゃいけないのは、フロイド象徴化の行き過ぎた解釈です。
まさか人類普遍の象徴化パターン等の分類がある筈無くて(そもそも連想性自体に個人差があるんですから)、統計学的な過信は典型事例のモデルを提示するだけで、
「あっ君は和室1DKだから君の結婚観は○○なんだね!」なーんて話はありません(笑
「それじゃセルフイメージがバレバレとは言えないだろう」なご意見も聞こえてきそうですが、忘れちゃいけないのは”各人に与件化されている世間体”ってものですよ。
自分の個人的考えと、社会的雛型は「違っているんだろうな縲怐vや「まさに私の選択は常識的典型でわ」等この部分が意識下に入らない事はありません。
誰しもが無意識に”バレバレ”である事を意識しているんですよ。
だから「へぇ君の部屋はフローリングなんだね」と投げかければ「うんなんでかって言うと」なる選択の理由をまー圧倒的多数の人が語ります。
具体的にセルフイメージがわかるのじゃ無いんですよ、セルフイメージがバレバレじゃないかって意識にかなりの普遍性があるって事です。
言訳とは微妙に違うんですが、大概何か語りますって、
「洗濯機置場がベランダなんだね」
ここからが心理学の真骨頂なんですが、
『靴を脱ぐ暮らし』のエントリーでここ説明しましたが
日本人の家屋に対する与件として『プライベートな空間意識の強さ』ってものがあります、思うほど自宅に不特定多数の友人を招く事は想定されていません。
「誰ひとり自室には入れたかないもんだ」なケースがあってもおかしくないでしょう。
『拘りの部屋探し』って言葉が意図する部分には”非公開故に個人的志向を最大に押し出す”って意味もあり、ここに同時に罠もあるんです、
それが心理的な世界から言うところの「内向化」です。
思うに、人の印象ってのは意外と淡白だったりして「本人やたらと気にしている事」は、実のところ周辺の人物誰一人「何とも思ってない」なーんて話はよくありますよね、
こんな形の内向的不安からくる暴走が起きがちなんですよ。
ある意味日本人の家意識における”弱点”かもしれません、
「給料も○○万なんだし、○万円ぐらいの部屋に暮していなくちゃ変じゃないかな?」
「女性なんだから、オートロックそのものには防犯性は無いのは知っているけれど身だしなみとしてやっぱオートロックであるべきじゃないのかな?」
ここ結論には全く意味無いんです。
「所得とバランス取れる住居を僕は求めるよ」や「私はオートロックがデフォであると思っています」ならバッチリOKってものです。
続きを読む
選択しているのは、セルフイメージそのものなんだって事です。
「へー○○君の部屋ってこういうところなんだ」
バレバレですよね、
どんな部屋を選択するのか?
ここには「そもそも部屋探し等頓着しない」って選択も含まれるんであって、時計や車やバッグ等のデザインの自由度も高く趣味性優先でも機能的にかなり幅のあるものとは違って、理屈抜きの生活重視って意味では余計にその人なりも想像できるとも言えます。
■ここで間違っちゃいけないのは、フロイド象徴化の行き過ぎた解釈です。
まさか人類普遍の象徴化パターン等の分類がある筈無くて(そもそも連想性自体に個人差があるんですから)、統計学的な過信は典型事例のモデルを提示するだけで、
「あっ君は和室1DKだから君の結婚観は○○なんだね!」なーんて話はありません(笑
「それじゃセルフイメージがバレバレとは言えないだろう」なご意見も聞こえてきそうですが、忘れちゃいけないのは”各人に与件化されている世間体”ってものですよ。
自分の個人的考えと、社会的雛型は「違っているんだろうな縲怐vや「まさに私の選択は常識的典型でわ」等この部分が意識下に入らない事はありません。
誰しもが無意識に”バレバレ”である事を意識しているんですよ。
だから「へぇ君の部屋はフローリングなんだね」と投げかければ「うんなんでかって言うと」なる選択の理由をまー圧倒的多数の人が語ります。
具体的にセルフイメージがわかるのじゃ無いんですよ、セルフイメージがバレバレじゃないかって意識にかなりの普遍性があるって事です。
言訳とは微妙に違うんですが、大概何か語りますって、
「洗濯機置場がベランダなんだね」
ここからが心理学の真骨頂なんですが、
『靴を脱ぐ暮らし』のエントリーでここ説明しましたが
日本人の家屋に対する与件として『プライベートな空間意識の強さ』ってものがあります、思うほど自宅に不特定多数の友人を招く事は想定されていません。
「誰ひとり自室には入れたかないもんだ」なケースがあってもおかしくないでしょう。
『拘りの部屋探し』って言葉が意図する部分には”非公開故に個人的志向を最大に押し出す”って意味もあり、ここに同時に罠もあるんです、
それが心理的な世界から言うところの「内向化」です。
思うに、人の印象ってのは意外と淡白だったりして「本人やたらと気にしている事」は、実のところ周辺の人物誰一人「何とも思ってない」なーんて話はよくありますよね、
こんな形の内向的不安からくる暴走が起きがちなんですよ。
ある意味日本人の家意識における”弱点”かもしれません、
「給料も○○万なんだし、○万円ぐらいの部屋に暮していなくちゃ変じゃないかな?」
「女性なんだから、オートロックそのものには防犯性は無いのは知っているけれど身だしなみとしてやっぱオートロックであるべきじゃないのかな?」
ここ結論には全く意味無いんです。
「所得とバランス取れる住居を僕は求めるよ」や「私はオートロックがデフォであると思っています」ならバッチリOKってものです。
続きを読む
『現実の部屋探し』
2008年04月08日
ズバリ抽象概念ですが、いったいどんな意味なんでしょうか(笑
自分で言ってちゃしょーがないですが、まーお付き合いください。こんな感じの言葉が結構多いんですよ。
「理想の部屋探し」
「都会の部屋探し」
「郊外のお部屋探し」
「ラクラクお部屋探し」
そんなキャッチコピーを思いつくままに、あみ出してみると、
「望郷のお部屋探し」
「切ないお部屋探し」
「冒険野郎の部屋探し」
「ハードボイルドな部屋探し」
「フェミニンなお部屋探し」
「ロハスなお部屋探し」
「優柔不断なお部屋探し」
「さすらいのお部屋探し」
「お部屋探しが永劫回帰」
な感じの仲間と比較してさぁどうでしょう
『現実の部屋探し』なんかイメージ湧いてきませんか。
心理学的には、内向化傾向のように場合によっては過去を探すかのような現象(後ろ向きって言葉とは若干ニュアンスが違う)の対比として「今そこにある」とか「今のあなたの実存そのもの」であったり「妄想の反対」等の意味合いで”現実”って言葉は大きな意味をもちます。
「現実的:リアリティ」じゃなく「現実:リアル」であるところがポイントです、
(心理的にはリアルとリアリティーはどえらく違う現象なので)
俯瞰から見れば”現実=自己を肯定するイメージ”と関連つけても大きく間違いじゃありません。現実の否定は必ず自分自身の尊厳も同時に毀損してしまうものです、
そんな前提を踏まえて考える『現実の部屋探し』とは何か?
ズバリ「自分が何座か選べる星占い」のような状況の事です。
そりゃ前提条件として、物件概要周りの知識に誤りや広告誘導のナンセンスがあっちゃいけませんが、幾分かはこれもやむを得ないところでしょう(そうなっちゃっているのも”自分”の現実ですからね(笑、)。
さて、僕が暮せる部屋は”今現在どれだけの選択肢”があるのだろう?
そして、想定される格部屋に住んでいる自分のイメージはどんな人だろう?
続きを読む
自分で言ってちゃしょーがないですが、まーお付き合いください。こんな感じの言葉が結構多いんですよ。
「理想の部屋探し」
「都会の部屋探し」
「郊外のお部屋探し」
「ラクラクお部屋探し」
そんなキャッチコピーを思いつくままに、あみ出してみると、
「望郷のお部屋探し」
「切ないお部屋探し」
「冒険野郎の部屋探し」
「ハードボイルドな部屋探し」
「フェミニンなお部屋探し」
「ロハスなお部屋探し」
「優柔不断なお部屋探し」
「さすらいのお部屋探し」
「お部屋探しが永劫回帰」
な感じの仲間と比較してさぁどうでしょう
『現実の部屋探し』なんかイメージ湧いてきませんか。
心理学的には、内向化傾向のように場合によっては過去を探すかのような現象(後ろ向きって言葉とは若干ニュアンスが違う)の対比として「今そこにある」とか「今のあなたの実存そのもの」であったり「妄想の反対」等の意味合いで”現実”って言葉は大きな意味をもちます。
「現実的:リアリティ」じゃなく「現実:リアル」であるところがポイントです、
(心理的にはリアルとリアリティーはどえらく違う現象なので)
俯瞰から見れば”現実=自己を肯定するイメージ”と関連つけても大きく間違いじゃありません。現実の否定は必ず自分自身の尊厳も同時に毀損してしまうものです、
そんな前提を踏まえて考える『現実の部屋探し』とは何か?
ズバリ「自分が何座か選べる星占い」のような状況の事です。
そりゃ前提条件として、物件概要周りの知識に誤りや広告誘導のナンセンスがあっちゃいけませんが、幾分かはこれもやむを得ないところでしょう(そうなっちゃっているのも”自分”の現実ですからね(笑、)。
さて、僕が暮せる部屋は”今現在どれだけの選択肢”があるのだろう?
そして、想定される格部屋に住んでいる自分のイメージはどんな人だろう?
続きを読む
「更新するべきか」(3)
2008年04月03日
ここまでの話をまとめてみるとですね、
・更新は借主の権利であって「更新できる部屋探し」こそ王道である
・部屋の評価はなんといっても希少性評価となる
・希少性評価とは言うならば「自分らしい部屋か」と言い換えられる
そもそも賃貸なのに改装希望(ほとんど無理)が多かったりするのは、この「自分らしい部屋」なる部分の潜在需要が大きい証明でしょう。
となってですね「自分らしい部屋探し」ってものを考えてみようとこうなっております。
希望条件の優先順位(トレードオフ)を明解にできるように物件概要的に考えてみようと、ここが今回の話のテーマです。
心理的に見ると「自分らしい」なる抽象概念は「その根拠が自分の個人的な要素に関係しているか」的な関係性で見ればいい事になります。
■『最寄駅の選択』
ここは「通勤に便利である」より「個人的に好きな街である」の方が”自分らしさ度は高い”と考える事ができます。
そもそも労働力が流動化している昨今、特に東京では「退職や転職するかもしれない」んですから、その時にも引越しする必要の無い街と考えれば更新率も高く同時に「退職や転職を考えるハードルも低くなる」のであって、人生の選択含めてその自由度を高めてくれますから、あまりに”今の職場”への通勤に拘りすぎるのも如何なものかと思います。
(※転職した場合には管理会社さんに勤務先の変更届けを忘れずに)
以外や以外都心部でも十分部屋って探せるので、ここも忘れちゃいけません。
続きを読む
・更新は借主の権利であって「更新できる部屋探し」こそ王道である
・部屋の評価はなんといっても希少性評価となる
・希少性評価とは言うならば「自分らしい部屋か」と言い換えられる
そもそも賃貸なのに改装希望(ほとんど無理)が多かったりするのは、この「自分らしい部屋」なる部分の潜在需要が大きい証明でしょう。
となってですね「自分らしい部屋探し」ってものを考えてみようとこうなっております。
希望条件の優先順位(トレードオフ)を明解にできるように物件概要的に考えてみようと、ここが今回の話のテーマです。
心理的に見ると「自分らしい」なる抽象概念は「その根拠が自分の個人的な要素に関係しているか」的な関係性で見ればいい事になります。
■『最寄駅の選択』
ここは「通勤に便利である」より「個人的に好きな街である」の方が”自分らしさ度は高い”と考える事ができます。
そもそも労働力が流動化している昨今、特に東京では「退職や転職するかもしれない」んですから、その時にも引越しする必要の無い街と考えれば更新率も高く同時に「退職や転職を考えるハードルも低くなる」のであって、人生の選択含めてその自由度を高めてくれますから、あまりに”今の職場”への通勤に拘りすぎるのも如何なものかと思います。
(※転職した場合には管理会社さんに勤務先の変更届けを忘れずに)
以外や以外都心部でも十分部屋って探せるので、ここも忘れちゃいけません。
続きを読む