SNSそれ自体を否定はしませんが(特に自治体や公営住宅などが高齢者の安否確認サービスなどを導入する場合など独自機能込みで”開発すべき”部分あると思います)、ザッカーバークさんだかなんだか知りませんが(笑、
始まりが婚活目的とかの同窓会名簿だったりしますから。
基礎設計というか狙いは「昔っから日本にある小規模な仲間意識的『共同幻想』そのまま」です。
欧米社会では従来、そういうった世間様的な和をたっとぶというか共同体っぽい概念に乏しく(教会権力系でしたから)、彼らにとってはとても新鮮なもののようですが、その本場である日本での運用となると、、いかがなものかと思います。
なんと申しましょうか、ゆとり教育の施行以来日本では「ようやくそういった予定調和な小社会から離れ個人が自由に(個性化)」って時代を目論んでいた時に、明らかに退行現象を引き起こしてしまったと思います(特に中高生などのその運用に顕著な気がします)。
どこで見たのか忘れてしまいましたが、
欧米の旅行者の動向分析で、画像を撮影してSNSに投稿→「凄いね、いいね」のレスポンスが無い観光地はダメなんだ的な話がありまして、、。
(これ、昭和と申しましょうか、、どこかで見た風景そのものですよね。)
心理学ブログの方で「旅行先の写真撮影とは何か(特に記念撮影など)」なんて話を論じたのはかれこれ随分昔の走馬灯の世界なぐらいの話になってしまうのですが、
「情報の共有・個人独占所有の禁止」一歩間違えば相互監視社会にもなり得る依存系『共同幻想』の崩壊こそが「気ままな個人の暮らし」を拡大していくだろうと思っていたワケで、
ぶっちゃけ「随分迷惑なものが海外から出てきたものだ」と考えていました。
■時に昨今「左翼論陣の著しい劣化」現象が広範に加速しているように思えますが(正直リベラルサイドにもしっかりしてもらわないと困るんですから)、
その原因ってSNSじゃないかと思うんですよ(2chバリバリ時代にネット世論を軽んじていた人ほどSNSに対する依存傾向があるのじゃないかしら)。
SNSは多数の「予定調和な支持者」を集約する性能がありますから、
前述の欧米旅行者の話じゃありませんが、特定支持者のレスポンスが「プチ・ポピュリズム」のような仮想状況を派生させ、当該人物はそのバックグラウンドに気がつかないまま「それが世論だ」と勘違いしてしまう。
無意識に現実との乖離を促進しかねない側面があると考えています。
これに対抗する解放系論議空間として(というか日本はそこから離脱を模索していたからこそ)2chの存在があったのであり(2chなどの場合”都合のいい小世界を形成できない”ところがいいとこなのであり)、
もろ手を挙げて2chを支持しようって意図はありませんが(まとめサイト台頭以降構造的変化を始めている)、ブログにしても「コメント欄炎上」でお馴染みなように、”都合のいい小世界を形成できない”からこそ現実との関係性を担保しています。
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