プライバシー重視や、個性化の時代、
繋ぐキーワードは自由主義です(そこには「民主主義」も含まれるのでしょう)
しかし左翼政治思想はそれ即ち『共同幻想』ですから
(政治でこれやると必ず全体主義になる)
改革派少数派野党としてこれを訴えている間は過渡期において意義もあるのですが、
第4の権力である大手メディアがこぞって”それっぽいスタイル”で独禁法違反の意思統一を図る場合、社会に対するその同調圧力は「避けようがなく」全体主義になります。
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現代社会の目指している方向性(プライバシー重視、多様化、個性化、自由主義)←ここと完全に相反関係になるんです。
時代と真逆の方向性ですから、『左翼政治思想』そのものが時代とともに崩壊していくことは自然現象で、大手メディア不信というか(真面目にありがたがって観ている人もいないでしょうけれど)←大手である段階でIT業界のビッグテック同様の(思想弾圧的な)独禁法レベルの問題として何らかの形で近未来に規制される形になっても驚きません(地上波における独占の禁止など《サブチャンネルを新規参入別会社に開放しなければならないなど方法はあると思います》)。
※極端な話では無く、新聞社などの組織内編集権(編集長の権限)なども「署名記事の場合、編集長の検閲による書き換え可能な範囲はここまで」みたいな論議があっても不思議では無い(厳密に言えば記者個人の著作権に関わることですから《「編集権と著作権」などとして論議が起きてもおかしくない》)。
※この話はとても皮肉で、後段出てきますがキーワードのひとつは「少数派」です
大手メディアも属性としては(主要政党同様に)一定の保守性を包含している筈で(まさか社員が全員極左の論客とは”そんなワケないのであり”)社内人事の関係でその立ち位置が「左翼政治思想を基軸とする」とかなってしまうことは、一定の支持を集めた政党が一部の極端な活動家の論調で政治活動しているようなもので(民間企業には”党首選”がありませんから=民主性が担保されていない《日本の企業はモノ言う株主を敬遠してますし》)←【素朴にこれ問題ですよね】
(選挙で選ばれたのでもない)一法人(民法なら営利企業)の個人が(私企業の社内的地位を利用し)権威性や報道権力をバックにして、社会に”同調圧力”のアジテーションをやりたい放題ってのは、いくらなんでも度が過ぎています(社会的パワハラ、モラハラの一種になりませんか?)。
カルトな『新興宗教』教祖も真っ青です。
※「マスク警察」現象なんてのが起きたのは確実にマスメディアの責任でしょう
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