てか、ついに不動産と精神分析の二足の草鞋を結ぶブログを書く事になった。
本業は精神分析カウンセラーなので不動産のブログと精神分析のブログを二本書いているのだが(精神分析では「俺」、不動産では「私」)、不動産のサイトを作るにあたってプロトタイプにしたのは最初に作った精神分析のサイトだったからその構成は全く同じ。
ブログ併用タイプってのも不動産サイトのイメージ考えてた時のアイデアで、精神分析のサイトで実験的にスタートさせて、不動産のブログは後を追うようにスタートしている。つまるとこ何かと『縁』がある関係で、この話は話すとながーーい話になる。。
そもそも精神分析のサイトには広告宣伝的な活動は馴染まないので、あくまで無料の相談掲示板をオープンで運営させる事で10年計画なんて話だったんだが、飯食うって部分の不動産の仲介営業始めた時に案内した「内見のお客さん」にseesaa紹介された事に始まる、
今や精神分析のサイトにも気ままに書くって意味ではブログは欠かせないから、精神分析と不動産の仕事には妙な縁があって、これまたそんな不動産のブログの延長で「部屋探しと心理学」について書く事になった。
不動産のブログretour&Retourでは、実際に物件を紹介がてら「これはどうなんだろう」ってテーマを東京に据えて書いているんだけれども、心理学的な突っ込んだ部分を書くのは適当じゃないなって感じていたので(主役はお部屋だからね)、別にもう一本書くのもいんじゃないかと思ったってワケで、
今実際不動産のコンサル仲介営業兼ブログライターって立場から不動産の世界を見ると、「なんか違うでしょうよ」って事が、「色んなフェーズに見え隠れしている」。
今日の不動産の世界にとって『広告』って、とても大事になっているんだけれど、この広告の内容に問題がある。
不動産の業態って問屋に近いもので消費者に特化した小売店的あり方がやたらと弱い、
大手管理会社には営業店舗部分を子会社化してる例も多いけど、自社物件の流通がメインだから「消費者の側から見て他社の物件も公平に仲介(業者にとっては収益が半分になる)してくれるんだろうか?」って疑問は来店して問合わせするまでわからない。
そんな業界のキャッチコピーは?
「○○○にきたらいい部屋がみつかるっ!」
これ言葉として完全に論理矛盾しているのだが、それに気がつかずにTVのCMなんか見てる人の頭にはスラ縲怩チと入り込んでしまい、下手すっと脳内で「常識論フォルダ」に格納されてしまうってケースが少なくない。
実はこれ大問題なんだな、
確かに国土交通省の願い虚しく「本来流通(他店でも取り扱える)可能」な物件を、営業収入を当てこんで抱え込んでしまい、自社物件だけで営業する(その代り自社物しかやらないワケだから他店が管理している家主さんに猛烈な営業をかけることになる)って、業界から「どうなの?」って見られている一部業者もいるけれども、圧倒的多数の不動産業者は(中小零細がとても多いので)「仲介による流通」ってネットワークによって市場を形成している。
※だので国土交通省レインズってな巨大な業者専用のデータベースが存在していて、各業者は仲良しだったりする(取引相手になるので)。
つまり
「この店にきたら」って。。。
そりゃ営業は嬉しいだろうけど、
「○○○はあなたにとっていい部屋を(仲間の全業者から)探します」じゃなきゃ、
つまり矛盾は二重構造になっている。
「○○○に有る有る」って部分だと、自社物件の内容がいいって意味になるが自社物件の品揃えがやたらとあるとすると相当家主さん向けの営業をかけたって意味になる。家主さん向けの本来業務が賃貸管理のコンサル(改装プランの提案を含む)と、空室募集って事になるが大規模広告を元にした集客をアテにして高い賃料を保証するような話で営業してちゃ(実際家賃の見積もりの一番高い不動産屋に専任媒介契約結ぶって家主さんもいるけれども)、まるで非公開寡占市場をいい事に価格を操作しているのと同じになっちまう、
(本気の大手管理会社だと、業者向けの管理業務の傍ら営業店舗を設けている形態もあるので自社物件営業しないって事が全部が全部問題では無いですよん)
「広告」ってのが、矛盾を合理的に見せる技術的方便って事でいいのかって話しになる(まあそういう部分も否定できないだろうけど)。
実際は、ほとんどの業者が物件を流通させているので、問合わせするのはどこの店でもいいのであって(営業範囲にもよるけれど)、何を選ぶって「提案を含めた部屋探しのノウハウ」って事になる。
家主さんにしても管理を頼むなら管理能力と(一般向けってよりも)各業者向けへの情報公開管理を重視した方が良心的であって、下手に集客力を自慢する業者だと「それだけ自社で成約を取りたい色気が強い」って事だから、業者向けの情報公開に消極的でむしろ成約が遅れているなんて話になっててもおかしくない。
そして「誰のどんな?」が抜けている「いい部屋」って抽象概念だ、
これじゃ「やりたい事が見つからない」ってのと同じ次元のパラドックスになってしまう。
このコピーにちょっとだけ具体的なキャラをつけて見るともっとわかりやすくなる。
「○○○にきたらハードでタフな男のいい部屋がみつかるっ!」
「いったいどんなお部屋なんですかー」って問い詰めたくなる(笑
じゃあ誰のための何がいい部屋って意味なのか?
一人歩きする「いい部屋」って概念は、「巷間伝わるいい部屋と呼ばれる流行を教えてあげますよ」って意味になる。
そこでキャッチコピーをデ・コードしてみよう
「○○○にきたらお友達に話しても恥ずかしくないいい部屋って評判(会社で評判の)のお部屋を教えてあげるからすぐに申込みなさい!」
あんまり嬉しくないね・・・
第一自分の部屋探しで、お友達に話しても恥ずかしくないとか関係無いし、
ところが、こういった話はキャッチコピーだけが原因ではなくって、どんな部屋に暮らすのかってイメージを素で考える人は意外と少なかったりするので、常識適応にプライオリティーのある共同幻想下では、友人同士で同じようなコピーが「日常会話に紛れて流通」してたりする、
で、現状は「部屋探し」って概念そのものが、かなーりあっちの世界までいってしまっていて、ワケのわからない誤解が複雑に絡み合ってしまって何がなんだかわからなくなっている始末だ。例の耐震強度偽装マンション事件にしてもそんな世相のスキ間に起きた事件だと考えてもおかしくない(この話には又、別の見方が様々あって、少なくともTV新聞の報道だけじゃ語れない部分が多いんだけど・・・)。
そもそも「マンションが売れすぎ」って言っちゃ何だけども、少なくともブツが完成していないのに「モデルルームで完売」なんて話を時々聞くが、耳を疑う。
賃貸だと「内見が申込みの条件」だったりするぐらいキャンセルが家主さんから見たときのリスクなんであって、「売買は自分が買ったんだから文句は言えない」って、自分で損してどうする。
なんでこんな事になってしまうのか?
先進国の行き着く先は「伝統文化や保守による正当性に担保された常識=広義の共同幻想、の崩壊」だ、それは文明自体がスクラップアンドビルドの過程そのものだからで、インフレとデフレを繰り返すように、リベラルと反動保守を繰り返しつつ先進国に行き着き、中間に似非保守を挟む事によって完全に伝統文化と断絶してしまうので、ある地点から「個性化という自立」を選択できないとライフスタイルを喪失してしまう傾向が生まれる。
つまり、選択の雛型が「数世代によってプルーフされた文化」から「マスメディアに喧伝された風説」に取って代わり、それが経済成長時代なら「似非でもモチベーション」として何となく合理性は担保できるが、豊かさのボーダーを越すと「単に営利目的の広告を鵜呑みにしている」に過ぎなくなる。
しかも、それは失われた雛型の正当性の蜃気楼として「求められる」ところがやっかいで、
「文部省が指導する個性化」
何度読んでも完全な論理矛盾で笑う話だが、お上の官僚にどうやって個性化なるものを中央集権的に“指導”できると言うのか?
なんとなくそんな世界の歪さに気がついて「デフレ」が選択された。
不動産の世界もそうで、様々なとこで『個性化モデル』が商品化されるに至り
デザイナーズが登場する。
そして企画されたハイコスト・リノベーションの商品化
そもそもそんんな「流行の先端イメージ」ってのは90年代までの話で、ネットの登場とともに今求められるのは「個々人の選択(=自立)」或いは「その模索」の時代になっているから、不動産の世界の話は一歩遅れているとも言える。
ここいら辺は「文化住宅」等、住居に関する政策が政府主導で行われてきた事も背景にあるんだろうし、「文化住宅って企画がサラリーマンってな新たな階層イメージを決定付けた」歴史的経緯もある(そして公団は終わった)。
だからこそ自分の暮らしを自分で選択する事は、「いい部屋探し」なんてカテゴリーより大事なものだと思う。
そんなワケで次回からは、あれやこれやと考えてみたい。
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