この「風呂無し」って言葉の意味が象徴する世界ってどんなものか考えてみよう。
ちょこっと触れた3点ユニットにかけて話を進めるとわかりやすいかもしれない。3点ユニットの「仮想風呂無しイメージ」に対し、利便性では劣る可能性のある「バランス釜」はむしろ最も浴室存在感のあるタイプとして対極になる。
そもそも入浴なるものを考えてみると、風呂に入るって行為そのものは「けっこうしんどかったりする」。実際の生活でも湯船に入るのは週に数回で、ほとんどシャワーだって人意外と多いと思う。
人の無意識から考えるなら、家族時代に「お風呂が冷えるからいいかげんに入りなさい」って言葉を投げかけられたことの無い人っていないのじゃないか?(実家が風呂無しであれば別だけれども)
さて、東京で一人暮らしなんて生活を始めるとまず最初に感じるのは「自由」って事だと思う。一人暮らしの醍醐味は「グーたらな自由」だったりするんであって、食事の時間から睡眠時間まで自由に選べるとこだ。
ここにトレードオフの関係が発生する。
所有する事による自由なのかVSグーたら的な「自由さ」なのか
「自由さ」ってイージーって事なんじゃないかと思うんだけれども、そもそも「イージー」って何だろう?
豪奢な浴室があれば、それはそれは「バスタブいっぱいお湯を」じゃなければもったいない話だが、これって風呂掃除的にも大変には違いない。
夫婦共働きでは無く主婦を選択するパートナーがいれば別かも知れないけれども(この場合は、カウンターパートの伝統的な仕事が浴室の掃除では?)そして時間はいつも自由なのかと言えばそうでも無い(追焚性能が人気だったりするのだし)、現実部屋探しのやりとりでよく耳にするのが「帰りが遅いからそもそも風呂無しは厳しい」であり、豪奢なお風呂でリラーックスって雰囲気では無かったりする。
確かに浴室がカッコいいと内見時の“見栄え”は相当なもので、強くアピールもするんだけれどもそれで勢いがついて希望賃料が1万アップでもOKなんて結果はこれまたどんなもんだろうとも思う。
阿佐ヶ谷の銭湯は深夜2時までやってます、
しかも銭湯協会の掟破りで「1時半以降の入浴は50円引き」
ジェットバスにお湯使いたい放題、しかも湯船のサイズは巨大ともいえる大きさ、お湯が冷えるって事も無い上にお湯が出るレスポンスのタイムラグゼロ。当然お風呂掃除も無しで、浴槽の大きさからくる水圧も強烈、
東京は伝統的に銭湯が多く(何せ賃貸住宅の“メッカ”だし)、昔は風呂無しアパートも多かった(2DK風呂無しとかもあった)、ところが「せめてお風呂ぐらい」の時代の到来で同時に銭湯も廃業が目立っている。
ところが実際は「銭湯好き」って意外と多い事に驚かされる、
何て言うか、銭湯が東京ならではの豊かさのひとつであった事には間違いなくて「部屋探しはお風呂付きじゃないと困るけれども、近所に銭湯があって嬉しいです」って台詞は意外と多いし、「シャワーで十分です」な人の中にも予備軍がいるのかも知れない。
実際の話「温泉いきたーい」って話はやたらと耳にする話であって、大浴場によせる日本人の好感ってものが後退したとはとても思えない。
そんな中2DK以上の相当高額物件にならないと、それこそ本格的に内容のいい浴槽はなかなか無い話で、浴槽の内容でギリギリ詰めるより「銭湯近いといいな」な方が結論は早いし、部屋付属の浴室は補完的でいい事になるから選択肢は幾何級数的に増える。
風呂無し物件の再考って何も「今お風呂無しがお勧め!」って意味ではない(笑
現実の暮らしの中のイージーやリラックスっを考える上での象徴的なキーワードになりゃせんかって話。
「帰りは終電」っていうのならむしろ3点ユニットが合理的だろうし、結構9時5時の生活なら「本気出して風呂入る時には銭湯」の方が豊かなんじゃないか?
果たして、コンベンショナルな『バストイレ別』タイプに適した暮らしって東京にどれだけあるんだろう?
そんな意味では「なーんか印象だけで賃料だけが上がっている」面もあるのじゃないかと思う(それも入居者の希望で)。
西洋スタイルバリバリのデザイナーさんなら、それこそレストルームにいきなりネコ足浴槽(当然シャワーバス)なんて自由度があるのだけれども(1Rストゥでイオなら可能)、実際「バストイレ別」の需要がこれだけ高いとそんなシングルルームに改装ってあり得ないんであって、、
なんて言えばいいのかな縲・br style="clear:both;" />「理想のお家幻想のミニチュア的選択」により過ぎて、もっとリアルな生活感とか、遊び感覚込みの「イージーさ」ってものが埋もれちゃっているような気がする。『レストルームにネコ足』これ以外とあたるんじゃないか?

この人は「入浴しないので不毛な論議には参加しない」そうです。
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