男性の選択は基本的に淡白(住居以外の消費性向が高いので)であって、仲介で調査を依頼するケースも少ないし、無頼なタイプの人は学生時代と変わらない住居にそのまま暮らしていたり「駅前の小規模店舗来店一発申込それでいいです」型の部屋探しも多くなる。なものだから、仲介調査会社に集まる男性の引越動機DATAは、決して男性の多数を表現するものではない。
■『男性の引越動機』とは元来男性の引越需要自体そう多くは無いので、ルームシェアや婚約者との同居等の住宅事情や(不動産用語で恋人関係は「婚約者」となる)所得の上昇による住み替えの事例が中心となる。前者のパターンだと最終判断は女性側だったりするので、男性の嗜好性を考えるテーマとしては後者が中心になる。
そんな事情から、自己実現型の部屋探しってニーズは男性の場合元々少ない(その部分は趣味や車って分野に反映する)。結果的に選択は淡白でスペック重視へ、
選択の特徴は社会的協調タイプの女性以上に「設備な築年数等の表面的な内容を気にする傾向」が強く、事例としては本質的価値や雰囲気といったものより「ところで築年数は何年なの」な数字に拘るケースも多い。
極端な例になると問合わせ段階から、間取りを無視して「僕は今回40u以下の部屋に引っ越すつもりはない」と断言されるケースもあったり、「果たしてお部屋の内容評価としてどうなの?」って違和感を感じる事は男性の方が多い。
@ゆえに、男性の引越動機は「社会的に説明しやすい部屋のランクアップ」と考えられる。
ところが売買等、それが資産価値として登場したり利回りがどうこうとビジネスマターな側面になると突然本気になる傾向もあるのであって一概には淡白とは言えない面もあるのだけれど、これも「部屋自体の雰囲気や在り方、トータルなキャラクターに対しての主体的評価ではない」。心理的には、車や時計なんかに見られるスペック志向が商品価値に直結しやすい購入動機の延長にあるとも言えて、なかなか数値化しにくい部屋の雰囲気やキャラクターを主体的に判断する状況になると、結果的に動機形成が淡白に”見える”のかもしれない。
そんなバッグラウンドのせいなのか(「そんな事が?」と思う人もいるかも知れないけれども)問合わせして資料取り寄せ後『音信普通・完全無視』される例も男性の方が多い。これって男性特有の社会性で「なんかあれこれ言うときっと面倒だろう」と思って遠慮しているだけなもかも知れないんだけど、基本的にどこの会社の空室も調査可能な不動産業界において「じゃ別の店で探すか」と考えるのはナンセンスと言えばナンセンス。基本的に営業が見ている業界サイト同じだし、、(違いは調査能力と費やす時間の差)。
内見についての判断もイメージより数字的評価で「内見はしません。僕の探しているタイプは無いです」と見る前に言い切ってしまう例も多い、「フローロングではない」とか「築年数が古い」とか「u数の数字が」とか「1階なので(昨今1階を嫌う傾向は男性の方が強いかもしれない)」等個別スペックが理由になり、全体的な雰囲気とか内容で判断される例は少ない。
ある意味大手営業系不動産業者との相性が良く、結果的にはちょっと賃料の高い「イケイケ営業店曰く:いい部屋(何がいいのかよくわかない)」を志向しているようだ。
ここには男性特有の「社会的プライド=知識や選択における決定に何らかの優位性を保ちたい」って心理もあるだろう。なんというか「自分が評価して選ぶ」という部分が社会的に説明しやすい(数字やスペックで)って部分が重要になる世界だ。
もっとも男性の場合には無頼な人(あまり引越しない人)が相対的には多いので、本当は仲介調査会社に問合わせするのに向いているんだけれども(「なんか安い部屋ないですか」とか「思い切り都心でいちおう風呂かシャワーついていれば」とか、「ゴツイマンション」とか抽象的な広域調査は仲介調査系会社が強い)、皮肉な事にそういった接点は少ない(無頼だけに)。
さて、そんな事情から拘って部屋を探す男性は一部になるんだけれども、このタイプの人は確信犯的な専門性に基づく評価になる。その選択は非常に明解なキャラクター選択に強い拘りがあり、実際仕事が各種デザイナーさんだったりする。
総じて(独立志向の女性と同じく)、引越成功事例が「事前のコンサルは長く、実際調査後は一発=既に成功が約束されている=部屋探しの期間自体は短期」という統計DATAは、ここからきているのだろう(現在このタイプの人が増加中)。
■角度を変えて「一戸建て購入」で男女の選択を考えてみよう。
心理的には高度経済成長まで男性には「一国一条の主的成功物語」が象徴化した側面があり、女性の場合は「結婚成功物語」に象徴化された側面があった。
@男性は女性(妻)が喜ぶ自慢の家を求め=自分が主体的に内容を求めているのではない「やはり淡白」、
@女性は結婚をイメージする「家庭連想」の内容を求め=水周りなど機能性に特化(使うと使わざるに関わらず)=部屋には拘るが評価価値は社会性(結婚連想)を担保するものでなければならず主体的選択ではない、
そんな社会的ビヘイビアーがあった。
『現代の晩婚化文化』はちょうど上記のアンチテーゼになる。
つまり、個人の時代への過渡期にあたる現在では社会的協調タイプの女性は「見かけに弱く」、同様に社会的説明を求める男性も「スペックに弱い」のであって、結果的に何故か「イケイケ営業系の不動産会社が喜ぶちょっと高い部屋(性能評価は「どうなんだろう・・・」な部屋)が、”いい部屋”」と呼ばれている。
ちょっと横道に逸れると、「無理をして高価な分譲マンションを買ってしまう」現象も同じ様な流れで起きているじゃないか?
分譲は賃貸ほど選択肢も多くないし、「分譲マンションを購入する世界ハイ」もあってじっくりと内容を検討できない傾向もある(何度もコメントしているけれどモデルルームの内見だけで購入の契約をしてしまうのは理解しがたい)。
話を賃貸に戻すと(笑
今後の動向としては「もっとも男性の場合には無頼な人(あまり引越しない人)が相対的には多い」という部分がキーになるだろう。
市場ってものは、流動性で決まってくるので、潜在的需要が大きいのにそれが動かないと「偏った市場が形成される」側面がある(投票率の悪い時の選挙結果のように)。
つまり『眠る無頼な人(多数)』が動くと不動産同場も変わるワケだ。
「巷間伝わる風評としての”いい部屋”幻想」は決して個性の時代(=自分の部屋)には馴染まないし、表面的なものに過ぎない。
ある意味、デフレのおかげで上記社会的価値意識は崩壊したのであって、これから続々と無頼な人は増えていくだろう。それこそ個性化の時代なんだし、ここ東京はその最先端でもある。
”男女同権”が名実ともに実現すると、部屋探しの偏重も解決し不動産相場はあるべき方向へ落ち着くってオチがつくのじゃないか、
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性別に見られる住居への嗜好性(2)
2006年10月20日
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