インターネットの世界で言うなら『ドメインどうすっか』って事でもある。
単に住居としての機能性だけで引越しを考える事は”木を見て森を見ず”な結果になりかねないし、環境といっても通常語られるのは「コンビニ・幹線道路・商店街・駅徒歩」ぐらいなところでこれも一見具体的に見えて果たして現実的かというとこれまた違っている。
なにゃかにゃと人には形にならない志向ってのもがあって、それこそ自分自身のアイデェンティティーだったりするのだから、たとえば「通勤ルートに4軒コンビニがあるとする」となんとなくその中の1店がお気に入りになったりする。
幹線道路にしても「246と甲州街道はNGだが山手通りや目黒通りはOKだ」みたいに現実は違っていたり、実際「京王線の商店街・小田急の商店街・中央線の商店街・東急系の商店街(東急の中でも随分とキャラが細分化されている)は雰囲気が違う」。
かといって、どえらく何もかにも調査前から具体的だとこれまたナンセンス。
理由は簡単「そこまで地域の事情を知り尽くしている事は稀」だからだ、
知った街から探すのなら「希望の駅指名」で、十分その条件を満たしている事にもなる。
て、ことは「希望の駅を一駅指名」って内容を考えると、反対側に在るべき希望条件も見えてくるってこと。
「希望の駅を一駅指名」と、思いついた時点で選択肢が限られる事も折込済みだろうし街にプライオリティーがあるのだから、物件詳細への希望条件もかなりアバウトになる事も予定される。
ここまでの話で妙な事に気がつくはずだ。
環境も含めて希望条件に具体性を持たせると、スペックとしての希望条件は弾力的なものになり「希望の部屋を探す」ほどの候補も出てこない。
調査する側も、スペック的な希望条件がアバウトになるのでとにかく地域を優先して幅を持った調査を行う事になる(国土交通省のレインズだと住所検索ができる)。
ちょうどこの部分は昔のエントリー『妥協は妥協か?』の話に被ってくる、
つまり「優先順位が明快だとトレードオフとして妥協可能なポイントは増える」=総花的なスペック志向の部屋探し自体『偏った希望条件といえる』という結論だ。
さて、ここでなんで『縁起』の話になるのかって事なんだけれど(笑
完全な人間が存在しないように、人の個性って「あっちが出てたりこっちがひっこんだり」なものでその個性に相性のいい引越しが在る事は『縁起がいい』のだ。
簡単に言うと”ポジティヴシンキング”、
何故って、個性があるなら嗜好には優先順位があるのだし、その優先順位を自分のアイデェンティティーだと考えれば「そんな自分の部屋」に暮らしたいものだし、そこがそんな人物が”良く似合う部屋”ならその個性って部分もより進化していくだろうから、『良縁』として歓迎するべきチャンスの確立もそりゃ相対的に上昇する。
暮らしって時間の流れの中の要点として、瑣末な部屋のスペックがそれほど大事な筈ないのであって、その部屋の設備内容にも「あっちが出てたりこっちがひっこんだり」している方が個性的だという意味にもなる。
オン・ザ・レールでコンサバな王道(昨今このコンサバってのもかなり”レアな個性”になりつつある)を行く人には、スペック重視の部屋ではなく「最初からフルスペックが予定されている部屋」って”キャラ”が良く似合うのだし、”自分の部屋探し”って個性化の延長で部屋を探しているひとは極端に言えば「自分のキャラみたいに何かが尖がって何かが凹んでる部屋」の方がそりゃ『縁起がいい』ワケだ。
現実、内見した結果「内見リストの中で最もスペックの高い部屋が選ばれる確率」なんてものは存在しない。常に「ここが意外と良かった」なんてランダムな結果になるからで=探す前からそのランダムな内容(縁)を想定する事はできない。
ある意味「自分に縁のありそうな部屋ってどんなだろう?」なんて考え方が、個性化時代の部屋探しって話のポイントになっているように思う。
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引越しと『縁起』の関係
2006年12月13日
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