特に東京在住で賃貸や分譲マンションに暮らしている人達は圧倒的に地方出身者だと考えていい。そして東京に暮らす大半の人も地方出身者である(笑
私も北海道から東京に来て多分24年ぐらい経過している。
保守的なくくりで定住と言えば「先祖の土地を相続して」=実家を継ぐのがやはり筋論だろう。近代以降文明化によって、東京出身の人達でも20歳になった若者が独立し一人暮らしを志向する事はむしろ当たり前でもある、
この独立階層にしても、保守的くくりから見ていくと純粋な定住とは言えなくなっているのだから「ここ東京って街の定住っていかなる方向にあるのだろうか」とも考えしまう。
これは実際に起きている事だけれど、そもそも江戸時代じゃないが封建社会当時の都会への人口移動は「長男に家を譲る」部分が大きく、先祖の土地(借地権や商業権を含む)の継承は一人から一人に対して行われ分割して相続なんて縲怩ネ現代の法律的な位置付けではない。
そもそも現代の相続税のあり方は、「左翼的な発想から資本家の一世代のみの解体」を目論んだ部分もあるので、ある意味現代資本主義の中心である東京において財産の世襲的な意味をビヘイビアにした定住という概念は既に崩壊している。
極端に言えば昨今流行の資産運用やら投資なるものは、節税と言う名の限りなく脱税の工夫でもしないことには結局一世代の政に過ぎない。
ここには決定的な矛盾があって、自分が何時死ぬのかを予知できる人物がいないのと同じで「溜めた資産の使い果たし時」を知る事は誰にもできないので、本来貯蓄や資産から消費へマネーフローがあれば民民ベースで経済循環する筈の資本が、一度最も効率の悪い国へ徴税されてしまう非効率を生んでいる。
投資効果の高い分野に行われる消費は健全な経済成長に貢献し、成長によって税収増になる方が本来効率がいい。生産性の低い投資がどうしても増えてしまう相続税の増加に過度な財政再建政策が組み合わせられてしまうと、それは国の借金を支払うだけの結果となり効率的な投資のできない銀行に又金が戻るだけになる。
つまり『相続税の徴収→銀行から税務署→緊縮財政による国債の償還→同じ銀行に金が戻る』この循環の間に「何回消費行動による経済循環が起きるのか?」って部分が本来経済成長の可能性になるのだけれど(結果的には相続税以上の税収が国庫に入り=極端な緊縮財政によらなくても国家財政破綻の心配は無い)、世の中そうはなっていない。
つまり「よーーしお父さん有り金使い切っちゃうぞ!」なタイミングは誰にもわからないからだ。
こうなってくると(本来分譲の資産リスクを考える場合、相続による目減りを計算に入れないとナンセンスになるから、相続前に現金化して使い切る以外資産の完全な保全?は不可能=これが分譲時に転売時の価格を気にしなくてはならない背景でもある)、現代社会の定住ってのは一体どんな意味があるのだろうか?
そもそもこの高齢化社会の中で「老後は設備の整った公的施設で」というニーズも増えるだろうし同時に北欧的な「個人の尊厳を優先し老人が一人暮らしを自由に選択できる地域のサービス向上」というニーズも高まるだろう。
その時、それは定住なんだろうか、
全てを逆さまから考えると、賃貸一筋こそもっとも効率がいい(家主さんの消費性向が今度は重要な問題になるけれど、民間への投資性向は高い筈)。
完全に所得を使い切れます(笑
考えてみると東京の暮らしとは、先祖から東京で暮らしてきた伝統ある資産家以外は、分譲でも賃貸でも持ち家であっても”長い滞在”なのじゃないだろうか。
だとするなら『住まい』なるものは所有されるものではなくリリースされるものと考えるのが自然で、本来都市計画なるものもそんな文明のベクトルに乗っかっている方が望ましい。
といっても度が過ぎると今度はガチに左翼的分配論みたいな事になりがちなので、これは一体どんな景色が「感じがいいのやら」簡単には思いつかない。
ネジを逆さに回して、相続税の大幅減税って新保守主義的発想にも一理あるんだけれど、これをやるには同時に封建主義的世襲と嫁入り的な家族に介護を頼りきるような現代社会的にはどうにも無理のある右寄りのバネがない事には、単なる金持ち優遇の(今度は銀行の金がそのまま銀行に残るだけ)非効率を生む。なんたって貧乏人ほど消費性向高いんだから、私を含めて「ちゃんとお金を回して下さい」と(笑
賃貸でも分譲でも「長い滞在になりそうだ、せっかくだから的みたい」な肩の力の抜けた考え方の方が東京って街には”自然”なのかも知れない。
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