ここ正に心理学にある論議の、集団心理と個人心理学の話に近いものがある。
「社会学と個人心理学はどうよ」みたいな話でもあるけれど、
経済学で考えると一番わかりやすいかもしれない。
ミクロもマクロも経済学であって、これは相互に関係ある(両方の関係性を意識できないと意味がない)。
ことほど左様に、本来住居の機能性や考え方と都市計画に関連性が無いのはむしろ不自然で、自分の住居ってコンセプトのバックグラウンドに都市計画が関わらないなんて事になれば、その個別の自分の住居なるイメージは随分と”中途半端”だって事になる。
「そんな都市計画なんて考えネーよ」と、反論多数かと思いますが(笑
あれですよ、住居で言えば”街選び”の事ですよー
そこで都市計画って言葉にならんのは、それは政治によってしか実現しないからです。
時々このブログやretourのブログで「住居と街の有機的関係」なんて言葉を使うのもそんな意味で、そもそも「東京で暮らしたい」「大阪で暮らしたい」「沖縄か北海道に引越ししたい」なんてーな拠点選びから”それ”始まっているのですから、ここはどえらく重要な論議です。
チェーン店型ドラッグストアが進出しやすい商店街整備が行われれば、確かに利便性は高くなるけれども生活感あり過ぎって人もいるでしょう。
同時にマンション希望で、比較的高層化可能な都市計画のある地域ともなればそれは同時に繁華街も近隣って意味になるので閑静な住宅街を想定すれば外れを引く、
それでもマンション希望なら低層の物件が数多くある都内中心部で探す方が(母数が多くなるので)むしろコストパフォーマンスも上がるし、あまり選択基準になりにくい事だけれど大家さん自体が非木造住宅のルーチン管理に慣れているって安心感もある。
静かにのんびりと開放感のある部屋(風通し)と考えれば本来アパートの独壇場であって、ここは迷わず郊外の住宅地(低層指定でマンションは少ない)で探せば内容のいい部屋が探せます。
コンビネーションが悪いと「都市計画的に存在しない物件」をやみくもに探す事にもなるので、郊外なのに意外と賃料が高いとか、築年数の割には部屋のクオリティーが低いってケースが多くなる(郊外築浅より都心部の古築マンションの方が室内の管理は上)。
この構造的なギャップってものがどうして発生するのか心理的に考えてみると、「部屋の希望条件のかなりの部分が無意識的な反動であって、決して本音じゃない」或いは自分の街によせる思いとそもそも行政が一致していない=将来どんどんイメージがずれる、なんて事もありますから、部屋探しの時の『街の偵察』ってとても重要だと言えます。
防犯性なんて部分も、物件に依存するよっか街に依存する部分大きいですしね、
時間的にゆとりが無い場合なんかでも、自分なりの街のイメージ(それこそ都市計画)を一度思い描いてから希望を伝えないと、「なんか変?」な結果になる事もあります。
欧米的に考えるなら、住居のデザインにも統一感あってもいいぐらいの話なで、
「祐天寺でマンションは無理無理アパート地帯だし、そのイメージなら池尻駒場で探した方がいいんじゃない」とか、実際部屋探しの前に街選び的なオルタナも考えておくと「いやー候補ゼロです」な結果にはならない筈です。
以外や以外風評だけの街のイメージと、その街の現実って違う事も多いですからね縲怐A自分にとって暮らしやすい街を、都市計画のスケールで考えてもるのもアリアリだと思いますよん。
心理学的に言えば「箱庭療法」じゃないですが、
想像した街が「こりゃ街としてありえねーよ」な時には、今度は話が別次元になります。
ええ、引越しは断念して「一度自分の人生を振り返る必要あるかも」なんて、より重要な事実を発見できるかもしれませんよっ
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