これ「retourのブログの方に書いてリンク飛ばして」みたいな話なんだけれども、公開されたwebページ見てみると、これがなかなか面白かった(コラム書いているナレッジバンクの伊藤さんなかなかいいですよ「非常にニュートラルな意見で正論」)。「実際どうなの」については次回のretourのブログでアップの予定なのでそっちの方を読んでちょうだい(今週末か来週頭にはアップの予定)なんだけれども、そんなこんなで分譲を巡る周辺をあれこれ考えてきてちょっと方向性が見えてきたように感じる。
ま縲怦ヒ頼の話は最近流行りのブログを利用した宣伝活動の一部なワリには、特段原稿料なんてものがを貰える営業系の話でもないし、この話はちょうど(北米の住宅ローン破綻のニュースもあって)タイムリーだなと判断して受ける事にした話なのでここは真面目に書くつもりです(笑
さて、住まいの心理学的に見ると売買と言えば「分譲住宅かな」と思うんだけれど、
とにかく「あたかも新築分譲住宅を勢いで買ったな話をなんだかゴージャスで幸せなイメージ」に連想してしまう構造は、どえらい危険な関連性(ロジカルなリンク)で、
むしろ投資家向けの投資物件としてドライに紹介されているページを読むほうがよっぽどその背景はドライに”投資リスク”として紹介されている。
「リスクのある投資のひとつですよ」が大前提であって、言い換えれば購入即ちリスクである。そのリスク商品の購入にあたって『引越しハイ』や『マイホームハイ』を助長するような方向性でそれを語るとすれば、それが業者の広告営業ブログであったとしてもメディアリテラシーに関わる問題だし、その反動として『それをどえらく格安で購入』という話も同列な論議に他ならない。
一時流行した「素人さんが直接競売物件に手を出す」なんて話にもここ被っているんだけれども、住居ってこれ縁起物でもあるし運命的な意味でもその世帯や個人のレーゾンテートルに関わるもので、心理的にも「そのビヘイビアを重視して初めて、さてどうかしら?」ぐらいに慎重に考えなくちゃいけない事柄で(そんな部分に”賃貸の意味”や”意義”ってものもある)、
これを煽ったり、安易に「得しちゃった」みたいに考える事はそのなスタンスに疑問を感じる。
「”儲かれば背後に人の不幸があろうが無かろうがお構いなし”が住居に似合う」なんて話がある筈が無い。足元見て指値で大きく出てそれに成功したのだとしても、その後ろに早期売買しなければいけない”事情”を抱えて泣いている人もいるって事なんだし、その背景を忖度してこれぐらいの幅でとその内容を詰めるのも仲介の仕事の一部なんじゃなないかとも思う。
手練れの投資家さんだって、「これは利回りもいいし費用対効果も高い」なブツでも「ここのビヘイビアになんか言葉にならない不安感を感じる」な事があれば”購入しない”事も意外と多いんであって不動産ってものは「安かったから得」のように短絡的に考えるような取引では無い。
本来『新築ラッシュ』みたいな再開発が行われるのだとしたら、それは=その都市は第三世界並に建築全体の資産価値が低いって事になるのだし(通常先進国の売買なんて築50年以上で全然普通だし)、それが金融当局の金利操作やマネーサプライ発だとすれば=バブルなんであって(バブルかどうかって根拠だけれど、それは実需に応じてか金融サイドからマネーフロー流通圧力によるのかの差異で見るのがガチでしょう)、至極単純な話有力な投資先として不動産開発の収益性が無くなればこれ需給バランスすら崩れている市場が暴落する事は自明。
今度は建築のファンダメンタルじゃなく、政策を含めた金融当局の成熟度って話になる。
その意味で日本の金融の成熟度はどうよって言えば、お世辞にも一流とは言えない。
ついこないだ大失敗してその限界を見せたばっかしで、税金投入でこれを救済したんだし、
そもそも貯蓄性向が高く、低金利政策でもダイレクトにそれが債券市場の活況=設備投資からの実態経済への刺激に繋がるような経済原則が通用しないこの国に、それを求めるにはこの国独自の投資文化をより専門的に第三者諮問機関でも設けて研究する必要もあるだろう(ここは小泉改革じゃないけれど、現在市場経済の定着へむけて移行中)、自由市場に丸投げで経済原則が機能するって心理的ファンダメンタルは無い。
投資ってのは、有力な成長を見込める事業や企画に「投資しますよ、だけれど成功したらちゃんと配当もよろしく」とあるべきで、担保価値しか評価できないので担保になる不動産ありますか?に硬直する状況(どうしても不動産本位制に偏る)そのものに投資って概念の在り方そのものの基盤が違う。
「銀行ってより、住宅ローン専門の消費者金融ですか」な背景事情も「国家的低金利政策」による金融救済策的政策によるんだから(不良債権化を恐れて法人向けの不動産信用取引みたいな過剰融資をやめて、一般向けの住宅ローン資金や住宅向けの不動産投資に資金が流れているだけ。今やその住宅ローンにも不動産信用取引みたいな形での過剰融資の話すら聞く)、本筋としても、現在の新築分譲の周辺事態が幸せの様相を呈しているのかって聞かれれば、何とも返事に困る状況であるのは間違いない。これも限りなく蜃気楼に近いのじゃないか。
心理的に見ていくと、ここはより鮮明で、
マンションみたいな自主管理の場合、所謂その自治会がどうなの?って購入の際にとても重要なところだろうし、金融当局の審査も厳しく(マネーフローの誘導も無く)「相当額の頭金を準備しなければ購入できない」という背景があってこそ相対としてその社会性も安定する。
何故って、社会そのものって部分なら購入先の自治会には既にそのマンション固有の共同幻想も確立されているし、会議をリードする有力者やらそこで営まれる社会性も安定している。
同時に分譲の購入=圧倒的に中古であれば、不動産的にも初期トラブル含む部分もバトルプルーフされているのだから購入リスクそのものの情報収集が易しい。名物管理人さんに聞けば全部わかるみたいに、信頼感のある組織ができあがっているマンションだって実際にある。
既に安定的な社会が形成され成熟している社会に参加するのに比べて「全員が初お目見えの社会へ参加しこれが将来的に継続する」な世界に少々警戒感があっても心理的には自然な筈。
金融的なところから言えば(ここは金融政策が関係しているんだけれど)、
ほとんどの購入者が「半分近くは頭金で購入しているよ」な環境なら、何かあった時にも安心だしどこかしかその世界は豊かかも知れないけれど、政策的マネーフローによって「頭金がどれほどなのか誰にもわからない」状況なら、見方によっては「初お目見えのみなさんの大半が多額の債務者である」って事になってしまう。しかも市場的評価から見れば将来値下がり観測がある(売却してもローンが残る)となれば、その債務も支払い期間が長ければ長いほど本気の債務に等しくなってしまう。
不動産的見方から言えば、昨今の北米における低所得者向け住宅ローンの破綻を発端とする「ちょっとヤバ目のデフレ懸念」も同じ。そもそも「新築分譲と安易な住宅ローン」のセットそのものを投資家的見地から見れば”金融リスク”と見る見方も正確じゃいけれども行き過ぎとも言えないだろう。
ちょうどここのところretourで『分譲キラー』なる賃貸のレポートを続けていたんだけれど、
そこに見える世界は「なるほど豊かかも」と感じる。内容評価として「一年住んだけれどワリに合わない」と見れば賃貸の場合解約する事もできるのだし、マンションそのもののグレードは下手な分譲を上回る。
新築分譲を巡る風景と比べて、果たしてどちらが豊かなのか?と言えばあえて説明の必要も無いだろう。所有リスクを回避するにも応分のコストはかかる、後はそのコストを借りる側が合理的範囲なのか判断するって選択に委ねられてるいるだけでライフスタイルの選択には違いが無い。むしろその選択の幅も内容も豊富で、生活のどこに価値意識を持つのかによっては「賃貸は構造的に分譲より上位ランクの都市デザインである」と見たってどこもおかしくない。少なくとも市場の透明性や健全性は賃貸の方が上位であるのは疑いようが無い。
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ちょうど不動産投資関係の原稿の依頼があって、
2007年09月05日
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