歴史的建造物であると同時に、文京施設という意味で地域文化の一部である事は間違いありません。


泰明小学校のHPにより引用しますと
http://www.chuo-tky.ed.jp/~taimei-es
明治11年創立、東京府泰明小学校として赤レンガ校舎が建てられた。その後、関東大震災より校舎が全焼、現校舎は震災復興事業のひとつとして竣工された鉄筋コンクリート造である。
校舎の造りは随所に特徴的なデザインが見られる。正面玄関の門柱、アーチ型の窓、講堂部分の局面の壁面、ツタが絡んだ校舎外見等が代表的である。
またデザインを合わせて門扉(フランス門:銀座みゆき通り美化会寄贈)、校舎堀(区整備)後に整備された。
(中略)
泰明小学校は島崎藤村や北村透谷等の出身校として有名であり、地域の歴史とも深く関わっている。
銀座の文化を誇るひとつのシンボルとして、銀座の街並みに溶け込んだ校舎である。
その島崎藤村や北村透谷の出身校である点は現地でも確認できますよ

そしてこの泰明小学校は『東京都歴史的建造物』の指定を受けているんですね。

現代の感覚で見ても、新しい”デザイナーズ風”なる建築(学校等の公共施設にも以外と多いんですよね)と比べても、威厳というか品格といったものに違いを見せています。流石銀座の小学校といったところでしょうか。

東京都歴史的建造物指定のプレートから
建築年昭和4年:泰明小学校
表現主義と呼ばれる建築様式の建物で、カーブを描く壁面やアーチ窓等これらの意匠は震災復興期に作られた小学校ではあまり見受けられない個性的なものである。
(詳しくはこちら)
↓

銀座界隈と言えばきらびやかなイメージが先行しそうですが、新橋だって銀座文化圏ですし、特に新橋から神田までのJR高架下や近隣の街並みや「そもそも有楽町駅」なんてのは実に庶民的な街で、
新橋方面への高架裏通り

有楽町方面への高架下

この世界にも東京ならではの歴史や文化が刻まれています

この世界にあるからこそ泰明小学校の建築や瀧山町ビルヂングに深みというか意義というか、それは街の文化(泰明小学校のフランス門が銀座みゆき通り美化会の寄贈である事もそれを証明しています)なのであって、建築を巡る開発の方向性は都市計画だけでなく、「その地域だから」的に地域よって守られる側面もあるんです。
意義ある建築や街並みを守りつつ、機能性を担保するべき個所は更新されていくようなスローな開発であって欲しいものです。
だからこそ、瀧山町ビルヂングの取り壊しは残念です。
確かにそこに銀座らしさがあったのは間違い無いですからね、
と、有楽町駅へ

これが「お世辞にも綺麗な駅とは言えない(笑」ところで

でもあれなんですよね、私鉄沿線の再開発駅みたいなステレオタイプな”真新しさ”よりこの雑然とした駅の方が私は好きですね。
”東京らしい”じゃないですかっ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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