ベテラン管理会社の担当者の台詞「ほんと”最近は”新しいものじゃないと決まらないよ」
”最近は”の言葉にあるように、この現象はバブル(1980年代後半縲・990年代初頭)以降に始まったと考えられる。
この間の不動産の動向だけれども、
バブルによる地価高騰により用地の取得が困難になり都市部においてのマンション建築は大幅に後退する(10年スパンで見るならバブル以前の10年に比べて総数でも半数前後に後退→現在は外資ファンドマネーの影響もあって以前の状態に回復:供給過剰に至る)、
その影響と当然マンションや分譲住宅の高騰を背景に、バブル崩壊後の政権と知られる宮沢政権(1991年縲・993年)時に当然宮沢首相は住宅問題にもコメントするのだけれど、当時のコメントとして重要なのは「そうですね政策としても都心部でも3千万程度で十分にサラリーマンが購入できる住宅供給を実現したい」的な発言をしている。
具体的にマンション等物件の内容には言及していなかったけれども、言葉の前後から読み取れる雰囲気はこの当事でも「ファミリーによる一戸建て購入」を指したものだった。
並行して、男女雇用機会均等法(1985年まさにバブル期縲怐jの成立により、女性シングルの分譲マンション購入は決して珍しい事ではない時代を迎えている。
この部分では以下のエントリーを参考にして欲しい、
参照)『家幻想』
http://kagewari.cside.com/blog/2007/09/post-d17b.html
参照)『女性差別史観におけるコマーシャリズム』
http://kagewari.cside.com/blog/2008/01/post-9c62.html
http://kagewari.cside.com/blog/2008/01/post-9c62.html
本来シングル向けの分譲マンションの購入は資産的にもハイリスクとなるが(世帯含めて生活環境からいっても自由に引越しできる賃貸の方が利便性が高いので、シングルで分譲を購入する需要は”投資向け”の支えがないと不安定になる)、文明化の過程で女性に普遍的に強い影響を及ぼした結婚願望的強迫心理の代償満足として(強迫的心理を力づくで突破する)シングル向けマンション購入は、上記雇用機会均等法の時代(=以降女性キャリアは年々上昇し現在もこの傾向が止まる気配はない)において、ひとつのトレンドにもなった。
この微妙な背景を関連付けて考えて見ると、
ちょうどサラリーマン世帯が「高度経済成長時代の残滓:一国一城(一石一城)の主になる夢=郊外に一戸建てを購入」という時代からDINKS等新しい世帯の方向性を舵切り始めた転換期で、ここに並行して女性の動向にはシングル選択の明確化が進行していた。
文化人類学的に見ていてば、この二者の方向性が後に『晩婚化』と『少子化』を迎えるのは予測されていたところだけれど、ここで不動産への見方の混乱や誤解・同時に広告会社の目論見が複合的に「築浅信仰」を発生させたと考えられる。
分譲価格の高騰で、一般サラリーマン世帯の購買意欲は後退し(バブル期には”とても住宅等買えない”というのが政策課題)、マンションを開発するにも用地の不足から大規模開発はできない。可処分所得の大きい世帯を考えれば当然この当事からターゲットは”シングル”なのであって、開発業者及び広告業界はシングル向けの分譲にも力点を置くのは経済原理として自然な事になる。
しかし、このシングル世帯の人物像として、彼らはマンション購入層としてはビギナーに違いないしのだし(育った環境は一戸建て世代)マンション購入という世界が本来その耐用年数から言っても中古を中心とした穏やかなものである情報をもっていない。
そもそも肝心の中古マンションは当事「ファミリー向けの存在」でもあったのだから、間取や規模から言ってもシングル高所得者向けの物件を中古から探すというは一般的じゃなかったし(リノベーションの時代はバブル崩壊以降だから)、ある意味当事のシングル世帯の羨望の眼差しの先にある分譲マンション購入者は「新築やデザイナーズ等」を購入するケースも多くなるし当然媒体もここを記事にする。
又、住宅購入の心理もこれはサラリーマンの「一国一城(一石一城)」の時代から”新築”を意図したものだったし(この背景は戦後の高度経済成長とサラリーマン時代→新興宅地開発)、その親の世代から『新築のお家』的なイメージが『家幻想』の中核だったのは間違い無い。
※ここには経済政策の指標としての住宅着工数的誘導(言わば民間投資の箱モノ景気政策・擬似的公共投資)が促進されていた事も重要、
参照)昨今の経済動向と暮らしの行方
http://kagewari.cside.com/blog/2008/01/post-4543.html
参照)白物家電の時代
http://kagewari.cside.com/blog/2007/12/post-658d.html
バブル崩壊によりデフレを迎えて初めて「そもそも日本は先進国として成熟した不動産資産を既に社会に実現している」な認識がやっとこ広がり始めているところで、
供給過剰の中分譲開発を進める意味で”インパクト”を求めて昨今は「タワーマンション」なんかに傾斜している(これもリスクが高い)。
※ここも”ITベンチャータワーな時代”の終焉を迎えて転換始まるのじゃないか、
心理的になんとなく「シングルのリーダー的な立場の女性(ここのとこ消費動向のシンボルといってもいいでしょう)は、カッコいい新築系の分譲マンションに暮している」イメージが半ば共同幻想としてバブル以降に広がりを見せ、雑誌含めて媒体からその影響を受ける社会人ビギナー層が「築浅に傾斜する」。
なものだから、その希望動機はシンボルとしてのシングルリーダーの媒体記事なんかに書かれている広告性のある謳い文句が自然と選ばれて、「あたかも消費者が開発業者のセールストークを希望条件と認識する(そりゃ広告した方は広告屋冥利につきるのかもしれないけれども、これは行き過ぎだと思う)」現象が起きた。
当然イケイケ営業系の不動産業者(広告にも非常に熱心だったりする)は、追随するようにこれを煽る。知らない間に「マンション”超”築浅希望5年以内」な世界は既成事実のようになってしまい、それが非常識である感覚を喪失する心理が醸成された。
※業界の感覚としては「経験の浅い都心部OLさんと”その存在を意識する”若い男性に、この心理が拡大してる」という認識になる。
さて、現代日本においては、この現象は『晩婚化』や『非婚』の選択等”デフレ時代の心理”から転換点を迎えていて(並行する現象として重要なのが”リノベーション”)、主に30代以上の東京ベテラン世代は「築浅信仰」から離脱を始めている。
結婚願望なる強迫構造も社会心理としてようやく解体し始めているし、ビギナーにも「自宅もマンションだった」な世代が増えている(マンション購入のリスク等の情報も自然に耳に入る)、思うにほんとに前後20年ほどの『築浅信仰の時代があった』的に落ち着けばいいのだけれど、デジタルデバイド同様に(それこそ”勝ち組み負け組み幻想”じゃないけれど)ここに情報格差のような溝があるような気がしてならない。
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『築浅信仰』(後編)
2008年03月12日
この記事へのコメント
ちょっとごぶさたしています。「築浅信仰」興味深く拝読しました。恥ずかしながら自分も昔はそんな感じでした。そのせいで割高な家賃を払ったことも。家を借りるとか評価するとかいうことの経験値が低かったのだろうと思っています。次は賢く引っ越ししたいです。仕事の関係で引っ越しは初夏以降になりそうです。物件がたくさん出るこの時期に引っ越せなかったことで、ちょっと乗り遅れたように感じていたのですが、TBで岩原さまの「春は引っ越しするものじゃない」とのコメントがあり、心強く思いました。これからもよろしくお願いします。
Posted by satomi at 2008年03月18日 12:51
どうもです引越しは夏が一番いいんですよっ ↓<a href="http://blog.smatch.jp/kagewari/archive/15春は見かけの件数が多いだけで、思うに実行選択肢で考えれば”春は通常よ候補が少ない”と考えてもいいのです。夏は相場も安いですし、物件調査も余裕をもってできますから部屋探しにはベストです。もともと供給過剰のベースがあるので、なんていいますか「原油の短期流通市場の相場でガソリン高だ」みたいな現象に巻き込まれる心配が無い(選択肢自体のファンダメンタルも心配無い)のですよ。ここは安心していただいて大丈夫ですよー" rel="nofollow">http://blog.smatch.jp/kagewari/archive/15春は見かけの件数が多いだけで、思うに実行選択肢で考えれば”春は通常よ候補が少ない”と考えてもいいのです。夏は相場も安いですし、物件調査も余裕をもってできますから部屋探しにはベストです。もともと供給過剰のベースがあるので、なんていいますか「原油の短期流通市場の相場でガソリン高だ」みたいな現象に巻き込まれる心配が無い(選択肢自体のファンダメンタルも心配無い)のですよ。ここは安心していただいて大丈夫ですよー</a>
Posted by kagewari/iwahara at 2008年03月19日 20:14
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