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部屋”が”求めるもの

2008年05月15日

そこで『暮らしの”場”』なるものを考えてみると、
ついうっかりですね、家幻想的な構造主義みたいに勘違いしてしまう事があるんです。
何の話かといえば、
家族で暮していた当時の「集団生活の中で”ここは私の部屋”」みたいな地位や(年齢)階層順位(兄弟であるとか世帯の一人っ子である等)に応じて「それ相応に”与えられるべきだ”」という錯覚です。
既に世帯として独立していれば、そんなビヘイビアは存在しないんですが、社会構造的に(随分と旧来の日本社会はその延長にあったのであって→年功序列や”課長になったら一戸建て”等)「自分に相応しい部屋」みたいなものが”探す:選ぶ”のではなくて”当然の権利として与えられる”的認知です。

こうなるとプライドって言うと微妙に違うんですが、後者の認知を主体に部屋探しを考えてしまうと「物件を階層で認知して、そこで自分は少しでも高い階層ランクに存在すると”いい気分だ”」のような(実体の無い空想です)雲を掴むような潜在意識が成立してしまう事もあります。
ここ”キャッチコピー”に頻繁に使われる『いい部屋』って抽象概念の正体です。
部屋にいいも悪いも無いのであって「○○にとって”いい”」とか「○○の観点で見ると(私の場合)こちらが”いい”」等本来それは相対的なもので普遍的な階層序列は存在しません。
ここ不動産業やっていると嫌ってほどよくわかります。
「年収に応じて賃料が並ぶなんてケースが無いから」ですよ、
そりゃ支払えない賃料の部屋には暮せないし、審査も通らないから限界はあるけれども全ての人が支払える上限一杯の賃料の部屋を志向しているなんて論議自体ナンセンスなので、限界論にもたいした意味は無いし、部屋にはそれぞれ個性があって
「入居者が高所得だと部屋が喜ぶのか」と考えれば決してそうじゃない、

相性ってそういうものですよ、
部屋の方だってあれこれ悪態つかれながら暮して欲しくないのであって、
ここ社会構造的に見ていくと「隣室で暮している人を蔑視している」のに非常に近い行為になります。
「こんな○○の部屋で、なんとか○○なんてほんと嫌だ」
この声が隣に筒抜けだとしましょうか、
その隣で「あーやっと○○があって、うわぁ○な部屋幸せだなぁ」と思っている私は「何ですか、隣室のあなたと比べてランクの低い人間だとでも?」
構造上はそうなってもおかしくないんです。
この現象が最も強烈に出るのが内見後の「なんかこんな○○な部屋は嫌です」なる台詞です、
その同じ共同住宅で幸せに暮している人もいるんですよ?
あたかもその言葉は「こんな貧民街嫌」のような言葉が同時に差別的な認知である事に気が付かないと似て、これやるとですね「そりゃそもそもそんな考えじゃ”縁起”が悪い」と、
縁起が悪いって言外に「そういう考えじゃいいこと無いでしょう”あなたに”」って意味ですよ。
ほんと『ひとこと足りないだけの差』なんです、
「なんかこの部屋は”私にとっては”無理かもですねぇ」→「(部屋が悪いのじゃなくて)私にはここで自分の生活をする”自信が無い”」これは相性の問題で個性の差(違い)なんだと、
不動産業界的には「詐欺的傾向の物件」のように”存在としてよかないだろう”って世界もありますが、それはプロ的な”別の論議”になるんですよ。

内見って”お見合い”と同じです、
結果として冷やかしみたいになってしまうと、相手(部屋)にとってそれはとても失礼な事で、お断りするのは自由だけれどもその現実を読み違えると部屋探しそのものの”縁起”が悪くなってしまうんですよ、
「この部屋見たいです」って室内というプライヴァシー(誰かがそこで暮らすことになるんですから)を自分の希望で覗いて「えーこんなの」とかって話は無いでしょうって事ですよ。
(これまた管理上”別の意味でどうにもNG”ってのは別)
 ↓
「面白いですねー、でも僕にはちょっと○○が無理かもです。残念ですが」
この人なら”自分にとってアタリの部屋引きそう”と思いません?
実際そうなんです、
不動産仲介の仕事なんてしていると、そういう経験も山ほどあります。
「あ、やっぱこの人だからこの部屋を引いたか(その人の入居を予測して待っているようにその部屋が空室だとは)」なる感覚です。
この話には不動産業者の錯覚もあるんです、
こういうタイプの人って現実を肯定的に見ているので(人間って面白いのように)、そもそもどんな部屋も同様に肯定的に見ていて(ここが業者の認識とよく似ている)、仲人(なこうど)にあたる仲介業者にとっては「なかなかこの部屋(人)いいところあるんですよ縲怐vと紹介している立場にも共感みたいなものが生まれるワケで、
 ↓
一体何が起きているのかと言えば、
「あっこに部屋に決めました○○の○が凄く僕には○○です」なポイントを”この人は決して見逃さない”って現象です。
ここ人物評価と同じですよ、
有能な上司は「きみには○○な○○があるんだねぇ、うんそれはいとことだよ」みたいなとこを”見逃さない”じゃないですか、
何処を見ているんだか、部下の悪口ばかり言う上司には「そもそもアンタに管理職としての仕事がどうかでしょうに」と思いますよね。

重要な事が他者への肯定的な評価に社会属性上”自分も含まれる”事に「無意識に気がつかない人」と「それをなんとなく気がつく人」がいるって事です。

それこそ部屋の方も「できればここで幸せに暮す人に入居して欲しい」と思うじゃないですか、(人じゃないから思わないけど、、)

「そうか、ここが私の”暮らしの場だ”」な感覚で「そうか、ここが私が探していたお部屋ですよ」と部屋を選択する現象は
「現象からして固有に良縁で幸せそうな雰囲気が流れます」
なんかいいことありそうな、そんな部屋探しになったって事です。


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posted by kagewari/iwahara at 15:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 部屋探しの心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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