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部屋探しを”行為”として心理学してみる(2)

2008年07月17日

標準化と個性化
確かに日本人のキャラクターとして”右に倣え”があったのは事実で、「自ら望んで”総中流世帯化”を目指した」のも確かでしょう。ここの源流を辿れば明治以前のムラ社会があるのは明らかだけれど(共産主義顔負けの栄農協力型自治社会があった)、各村同士の間には強い個性化があった。それが「一億総」なるキャッチコピーの登場を生んでいくのは明治以降の近代化の中で、この国の共同幻想はムラ社会的発想をステレオタイプに還元する事で適応してきた部分があるためで、
本来が我の強い兵(つわもの)が集うぐらいでちょうどいい都市文明とは初っ端から構造上のギャップがあった(これが昭和に軍国主義化したのも別段不思議ではないのです、その当時のステレオタイプが”軍国主義”だったんですから)、

心理学的に見ていくと、今現在日本の共同幻想の崩壊速度が「ちょっとヤバイんじゃないの」な勢いに加速しえいるように見えて、本来これを補完するために徐々に個性化していけばバランス取れた部分もあったかと思うんだけれど崩壊速度が速いもので、個性化の方もノンビリできない状況にあると見ていいと思う。

関係していないようで関係しているのがこの部分
就職後3年で3割離職 大学生「青田買い」のせいなのか
ある意味社会的生存圏的発想として、共同幻想に強い連想性を持つ”ステレオタイプな発想”はそれ自体現代社会にとって(メンタルな意味だけでなく)リスク要因になっている。

ある意味、大家さんや建築士が「かなり自由にだったり創意工夫だったり時に適当だったり、敷地の限界だったりで同じ部屋は無いほど個性化されている賃貸住居の場合」本来といっては何かもしれないけれど、少なくとも現実問題「予想を越えるヴァリエーションで選択肢がある事そのものに価値がある」と考える事ができます。
 ↓
ここが激しく誤解を招く部分でもあるので、
ちょっとマジに心理学で話を進めてみましょう
定番や常識的発想とも仮想されがちな”ステレオタイプ”なる概念は、ほとんどが「通りのよさ(ぼんやり聞いていると納得しそうなゴロのよさ)」みたいなもので形成されていて、言っている本人実体験や、自分で調べたり考えたりする裏取りされていないからこそ”ステレオタイプ”となるワケで、
結果たとえ『同じ選択であっても結果が違う』特徴を持ちます。

人の心理というのは面白いもので、構造的に自我は「合理化されたルーチンの動機形成」と「自意識発の賭け的動機形成」とそれぞれ違った形で行動します。
単純な話
「友達の進めで購入した馬券が大当たり」
「自分で悪戦苦闘して狙いすまして買った馬券で大当たり」
購入した馬券がお同じでも得られる効用(満足の水準)が違う。
上記の場合、そもそも競馬なるものがどうでもいい人にとっては前者の方が効率がよく同時に得られる金銭的利益の方が比重が大きくなるので前者の方が好まれる。
しかし競馬そのものに趣味性や興味のある人にとっては、「自分で選びきった過程とどの馬がどんな内容で勝ったのか」の方が得られる金銭的利益より大きい。なので、競馬に興味ある人にとっては、後者の勝ち事例は「自分が選びきった結果の勝利と、馬券買った馬が勝った勝利と、賭けに勝った事」まで効用は数倍になる(なので調べ物したりDATA集めたりのコストは”見合うコスト”になる)。

勿論個性化は後者の世界に属します。

つまり部屋探しに興味がある時点で、その効用を担保する事を考える時
完全なパラドックスであるのを承知で、強引な設定で考えてみると
・「自分が数ヵ月後に暮している部屋は、時間軸の中で予定されているとする」
その中で得られる効用を最大限確保する方法論は(結果が同じなのだから)、
「その”選択の過程”が個性的であったのかに左右される」

ここが戦略になるワケですよ。
『部屋探しの心理学』です、まさに。
別段ステレオタイプな発想をネガとして排除すればいいって意味じゃないのです、それは当然風評になるぐらいなのだからそこに何らかの意図はあるのです。
問題なのは個人的にそれが検証されているかってところ(ある意味リテラシー)と、情報デバイド的な無作為がありゃせんかって話しなのです。
現実問題「個性化=違っている度の勝負じゃない」のであって、
ユニークな部屋に住まなければ個性化じゃないってのは大間違い(ここのニュアンスはなんとなくわかってください→ここ話すとエライ文字数いっちゃうので、、)、
その過程に個性を担保しているか→「個人的思考が介在しているか」の差異になります。

と、ここまでは比較的わかりやすいところかなと思いますが、
やっかいなのは「個人的思考と強迫的な思い込みの違いが見分け難い」ってとこです。
果たして心理学的に「個人的思考」と「思い込み(強迫的)」はどう違うのでしょう?
えーそこを『部屋探し』って”行為”をベースに考えてみます。

<つづく>

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posted by kagewari/iwahara at 21:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | 部屋探しの心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのコメント
一昨日の昼前、久々にニコラス(なんと99年以来)のピザでも堪能しようかと溜池より散歩がてら歩き、食事の前に例のカトレヤハウスの外観を確認して、食後に麻布タワーズを写しておこうかと全体が収まるグランドメゾン狸穴の前に辿り着けばクレーンの姿が・・・瓦礫状態になってました(泣!!!)3月か4月の時点では大丈夫だったのに・・・建て直された建物は前ほど重厚な造りではないでしょうね、三田東急アパート(アネックスを含め)と麻布東急アパートは12月で営業終了し来年取り壊しに掛かるとのこと六本木5丁目の永坂よりの石橋ホームズ(石橋財団の)も取り壊され、鳥居坂の川崎ハウスは丸紅が買収後インボイス劇場なる施設と駐車場に変わり果てておりました
Posted by テオレマ at 2008年07月18日 03:52
いつもコメント有難う御座います、そろそろ始まりましたね。そこでテオレマさん貴重な情報は感謝なのですが、ブログはコメントが入ると関連記事がサイドバーのコメント欄でage進行になる仕組みになっておりまして、サイト内検索等ご利用の上関連記事のコメント欄の方にいただけると助かるのですが、、 ↓<a href="http://blog.smatch.jp/kagewari/archive/97記事を閲覧する人もコメント欄的にはそのように期待されていますので。よろしくどうぞですっ" rel="nofollow">http://blog.smatch.jp/kagewari/archive/97記事を閲覧する人もコメント欄的にはそのように期待されていますので。よろしくどうぞですっ</a>
Posted by kagewari/iwahara at 2008年07月21日 01:01

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