ハリウッドでは『アイアンマン』ネタとなっているこちらの方が注目かもだけれど、
外骨格パワードスーツ
実際のところはこちらの方が注目で
下半身麻痺者の歩行を支援するパワードスーツ
暮らしなるテーマにこの辺の話は非常に重要な関わりがあるのです。
『少子高齢化時代』なんて言われていますが、これはとんでも無い話で「高寿命化による高齢者年次の先送り時代が到来している」と見るほうが正しい。
高齢者医療の法律が随分論議になっていますが、あの年齢の分岐は見方を変えると”いい線”いっているんです。
現代社会においては75歳以下は「高齢者じゃなくなった」んですよ、
ここも考え方で、平均寿命から逆算して後ろの10年前後を高齢者と定義していんじゃないでしょうか。
ある意味このまま寿命が伸び続けると、マキシマムの人間の寿命は120歳だと言われています。ひょっとすると日本はそこまでいくかも知れません。
そうなると100歳までは高齢者では無いのであって、江戸時代と比較すると「人生50年縲怩チっ」なんて例の歌から考えれば、「人生2世代分ある」のであって、心理的にも少子化とここ関連性あると思います(どこから見ても若い現役の大人に孫が三人なんて状況を無意識に回避している可能性もある)。
同時に、本気で高齢化した後もパワードスーツ等で寝たきりって状況は回避できる事になるのだし(パワードスーツの弱点は動力なんだけれど、自宅で歩き回る分にはバッテリー容量をそれほど心配しなくてもいい)、高齢者介護の”状況”そのものが大幅に変化するかもしれない。
これはひとり暮らしという形で、個人が自由に生きるベース年齢の伸張となるので、
将来の社会で求められる住居は『シングルベースが基本』となるだろうし、その場合に求められる分譲や賃貸住居の内容もホテルライクなサービスがある方が好感されるでしょう。
これは私見ですが、30年後ぐらいの将来の社会は40歳で一度リタイアして、大学院等に進学し、新卒として第二の人生を生きるとか、そういう社会制度が求められるのじゃないか?
こういった社会になればなるほど住居を個人資産として”世帯”で所有するというのも考え物で資産も個人ベースで考えるのが一般化するだろうから、不動産なるものの価値体系そのものが変遷するんだと思います。
実際今現在の状況から見ても「高齢になった時の個人の住まい」は1Rなんかの住居の方が暮しやすいだろうし、夫婦世帯で考えても30uチョイぐらいの方が高齢者には楽なのじゃないか?
そんな意味でも既成概念に囚われない発想があっていいと思う。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
攻殻機動隊の時代はくるだろうか
2008年10月03日
この記事へのコメント
この記事へのトラックバック