呼べるものなら『縁』なのかも知れません。
「縁組」なんて言葉もありますからね、
となると、これは”組み合わせの妙味”って事になります。
化学反応じゃないですが、ある組み合わせで予想外のパフォーマンスに到達する状況を”運”と認識する状況は可能性としてあるのじゃないでしょうか。
何故ならその予想外の状況は”組み合わせに寄る”もので、単独行動だけで獲得したワケでは無いので自分自身では「運がいい」と体感されるからです。
運の全部が全部じゃないでしょうが、そんな世界の幾分かはそんな”組み合わせの妙味”なのかもしれません。
単純に住居における組み合わせを考えてみると、、
「分譲マンションと○」
「木造アパートと○」
「デザイナーズマンションと○」
「分譲キラーと○」
「レトロマンション都心の○」
「東京東側の○(南側の○・西側の○等々)」
「西武線の平屋一戸建てに暮す○」
これを絵柄で考えてみるのも面白いものです。
何が面白いのかと言うと、ここまでのストーリーから考えた場合「予想外のパフォーマンス」に達すると運がいいとなるのですから、、
てことは?
『想定外の組み合わせ』に”何か”があるのかも知れません。
人間の心理は不思議なもので、現実的なる言葉の”的(っぽい・らしい)”にはハプニングの要素がありませんから、その選択には「予測可能範囲」の『枷(かせ)』が被ります。
それは何か未知なるものを探しているって行為に「リミッター」をかけている事になりますから「運がいい」が入り込むスキ間を狭めているのじゃないか?なーんて事も考えてしまうワケです。
ここは皮肉なもので、その人の「予測可能範囲」が歩留まり論的に「こんなもんなんだよ」なネガった感じである場合、その選択は無意識に「狙い通りに”それっぽく”ネガった結論になる可能性」が高くなるのじゃないでしょうか。
ネガな部分が無くても「平易に終わる」とも言えます、
かといって想定外とは言っても、非現実的着想だとこの世に存在しないところまでいってしまいますから、重要なのは選択枝として現実世界にある可能性の視野を広げる事になります。
賃貸住宅で言えば「賃料上限と街」
分譲購入で言えば「購入価格と区(選択枝的に区レベルじゃないとキツイんです)」
ここは「想定外だと困る」とこですから(笑
それ以外は限定解除する方が「運がいい」って現象を引きやすいと、そんな構造論も在り得るのであって、
不動産的結論は「縁起がよろしい」となり。。
てことは?
心理学的に言えば「あれこれと具体的に選択枝をネグる現実的判断って思考そのものが縁起がよろしくない」って話なのかもしれません。
何事も自由な方が気楽でここちよかったりしますから、
昨今頭角しつつある「緩い感じ」って世界は、現実的なる”窮屈さ”に対する潜在意識としてのアンチテーゼなのかも知れません。
といっても、現実的のアンチテーゼは「賭け」ですから「リスクを取るセンスの勝負」と見るのもアリかもですね、
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運は呼べるものだろうか
2008年10月18日
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