
現在は宴会場・ホテルといっていい存在ですが、元は「軍人会館」と呼ばれた設計(同潤会の)川元良一氏の軍の宿泊施設で、wikiによると「2.26事件では、ここに戒厳司令部が置かれた」とあります、築1934(昭和9)
運営は財団法人日本遺族会


現場を歩いていただくのが一番早いんですが、上記の知識が無くても軍人さんが歩いていそうなそんな”何か”を感じます(これは思想的宗教的意味全く無くです)。
とても表現が難しいんですが、重厚というかクラッシックというか(隣武道館だし)実際にも投入されている資材の総質量も半端なものじゃ無いでしょう。
そして靖国神社への道は歩道の幅員からして”違っていて”

チラッと武道館の北の丸公園方向を見ると

(わかります?凄い人の列→理由は後半で)
靖国神社参道

「とても表現のできない地勢を感じます」ここ半分は不動産を生業として歩いてきた人間の感想で、半分は精神分析を本業と自認している人間の感覚です。何とも言葉で説明できない部分が多々あって、歴史的遺跡に対峙したような感覚といえばいいでしょうか、


そういえばさっきの人の波は?
武道館北の丸公園入口へ

この日はTHE WHOの来日公演の日だったのですっ
なるほど九段下駅に渋いイギリス人風だったり団塊元ロッカー風の人達を見かけたワケだったのですね、「靖国神社の直ぐ傍にユニオンジャックの旗もある」戦後と平和ってものを感じます。

歩道橋から振り返ると
東京理科大(左側が靖国神社方向です)

いやはや今回は壮言な趣きの建築巡りとなったのでした。
前回エントリーにおける「千代田区景観まちづくり重要物件」これは都市計画における参考になりますよね。各地方自治体はこういう活動積極的になっていいですよね(第三者常任理事会とかもあっていいのじゃないでしょうか)、古い建築ってただの建築だけでなく”歴史”そのものなんですし、古築として残ってきた姿そのものに風情やデザインそして性能評価としてバトルプルーフされてきた実績がそこにあります。
ちなみに以前レポートした『清洲寮アパート』先日近隣で内見案内があったものですから、ついでに様子を見に行ったんです、空室が見事にリノベーションされているようでまだまだ現役間違い無し、
retourのレポートで紹介した『明治屋京橋本社ビル』もそうですが、
都市計画って壊して建替えるだけのものではどうしても均一に現代風なる枠に収まってしまいがちです。何をどんな風に残して→保存に関しては自治体もこれを協力し「残すものと新しくするもの」このバランスをデザインして初めて街の歴史を含めた連続性は担保されるんだと思います。
建築内容によっては地勢を含めた不動産の秩序(風水って意味では無く地政学的に”ここにこれがあるから収まる”みたいな周辺地域に及ぶ不動産の実存みたいなもの:目に見えやすくわかる事例が「日照権や街の緑」)に関わる”建築”も実際に存在します。
街の再開発計画というものは、民間任せでは無く「市民や自治体が第三者の専門家を招いて勉強会を開き、検討会を重ねる等して積極的に関わり考えて造っていく」そういうものなのでしょうね。
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