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韻を踏むように考える現象

2009年01月21日

ってラッパーの話じゃないですから。。

心理学用語にはなってませんが、メンタルな話題を話すときに言語論的な意味でも「韻を踏む」って部分はわりかし頻繁に出てきます。強迫心理が関係する場合、何かを考えるときの前提の部分(つまり事実認定)の与件化されている”とっかかり”に無意識に特定の意味が投影される事は”典型的な強迫”になるので、現象的には「その言葉の暗韻は」とか「そこで無意識に暗韻が踏まれて」な状況になります。

韻を踏む現象と呼ばすに「抽象概念が主語になる」とか「キャッチコピー論」とか(意図している現象は同じ)いろんな語り口があるんですが、
陰陽師的に言えば「呪(しゅ)」
言語論的に言えば「メタファー(暗喩)」、
(サブカル的に言えば「フェチシズム」も微妙に被っているかも)

人の心理は不思議なもので「考えが代行されている」といえばいいでしょうか(あるいは思考の一部が”慣用句”的処理で省略されている)。
プログラム的に言うと「あるif文のサブルーチンがあるんだけれど中身忘れちゃった」みたいな、自我には必ずこういう合理化とか象徴化のプロセスがあるんです。
「メタファー」的に言えば
「あーそれは僕にとって目の前にカレーを出されたようなものだ」
えーここでその人物にとって『カレー』が代替とか交換できない個人的且つ特有の意味を構成しているのはわかりますよね?

このたとえ話に登場する『カレーの意味が特別な場合』を自我が確信犯的に内実完全掌握していれば(細かいディティールは合理化されていても「それは私にとって○○だ何故なら縲怐vぐらいはザックリ認識)何ら問題ないんですが、

便利な言葉として多様され始めると、その利便性が「便宜的な理由」なので(表現しつこいな縲怐A、)、自我にとって「与件化のプロセスそのものが瑣末な理由」だったりします。
となると、与件化されている内容(細かいディティールは合理化されていても「それは私にとって○○だ何故なら縲怐vぐらいはザックリ認識のような)が、無意識に沈んでしまっていて、本人何だったか忘れている場合があるんですよ。
えーっと、こういう現象は雑誌なんかに登場する”サブカル心理学程度”の世界では「深層心理チェック」なんて形で無茶な説明されますが(笑
(トラウマのように「与件化のプロセスそのものが極度の不快や衝撃」だったり、自我論的に「反動形成との交換により無意識化する→記憶そのものが偏向し事実が無意識化」なんかになるとそのまま強迫観念になって、強迫構造って話になります)

ある種「韻を踏むように考える」と、自意識管轄で使っている脳内ロジックが数学的に拡大するんですよ。まるで梃子の原理みたいに(本来は短時間に膨大な情報処理をこなす合理的なシステム:”知識”とか”難しい言葉”とも微妙に似ている仕組み)。
詩歌なんかで考えてもらえると一番わかりやすいかと、
『ワビ・サビ』
誰もが一度は不思議に思う、歌謡曲のサビは何故か「英語」とか(笑
(このきめ台詞は聞いている人意味がわからなくてもよかったりする)
しかし”何かの表現”はとても大きくなる(莫大な情報量が瞬間に集約される)。

なんとなくわかりません?
えー「うんうんわかるわかる」って聞いているんだけれど、友達に「へーその歌好きなんだ、ところでさ、そのサビの英語の歌詞の意味んって何?」
そんな時「アハハ、、(え縲怩チと)」みたいな感覚ですよ。
自分で勝手に暗韻踏んでいるんだけれど、それをガチで認識していることって意外と”無い”のですよ、その多くは”無意識的なロジック”に代弁というかユニット化というかモジュール化されていて、詳細は掌握していないんです。
(そんな感じに潜在的な投影を多く”引く”と優れたキャッチコピーになると言い換えてもいいかも)

つまり「すごくわかったように主張している言葉の意味がよくわかっていなかったりする」とか「それは○○じゃないかー」と言っても誰にもそのメタファーが理解されなかったり(笑
『無意識に韻を踏むように考える』事って多いんです。
ええ、常にその効果がうまくいく保証は無いんですよー
(その割りに使用は頻繁だったり)

特に住居の場合「物件概要」とか「重要事項」などに登場する言葉に個人的な意味の韻が踏まれている事が多いんです(今回の話とは微妙に違いますが代表的な例は『家幻想』とか)。
ところが、大概のケースでその韻の内容は無意識的なので、感覚的には「主張した感」とか「選んだ感」は強いんだけれど、具体的に何を必要としているのかって内容が「無意識におっこちている」場合も多いワケで、
反動がついて知らない間にイケイケ営業店ばりのキャッチコピーに昇華しちゃっている事に、自分で気がつかないなんて事も少なくないのです。

「今の希望条件って”ほんと”かな?」
「てか、希望している”言葉”の具体的内容が何の意味のなんのためのとかって部分を、自分は知っているんだろうか」
一度考えた方がいいですよ、ホントに、
現象としては「はっきり伝えた感は激しいのに、何を伝えたのか実は曖昧だ」→エスカレートすると「自分がどうしてこの条件に拘っているのか自分でも実はよくわからない(その希望の理由として出てくる言葉がどうにもステレオタイプで”自分の言葉”じゃない)」
こうなると出口を失います。
『出口を失う=(いくら情報や資料や部屋を見ても)何も探せなくなる』

部屋探しに限った話じゃないですけどね。


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posted by kagewari/iwahara at 16:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 部屋探しの心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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