あえて暴論で問題提起してみようと、
こんなテーマです。
心理学的に言えば『カウンター論』みたいなものなんですが、話を意図的に極端(乱暴)にしてみると、大きな流れが見えやすいって”一種の証明法”みたいな話です。
「心理学・日本の不動産賃貸の文化的特徴(基本的に即入居の内容設備が保障される)」これを合わせて考えると、部屋探しにおける希望の優先順位ってのは
『圧倒的な○○と枝葉末節のナントカかんとか』ではなかろうかと、
こう思うわけです。
ひとつテーマを絞って話を進めてみましょう
「ペット可」
えー即ち「実際ペットが飼えなきゃ意味無い」ですよね、
誰が考えてもそうでしょう。
このケースでは圧倒的優先順位が成立しますよね
(既にペットを飼う時点で部屋探し的選択肢が”ペット可”に限定されるトレードオフは自己決定として選択済みになる)
トレードオフ参考:http://kagewari.cside.com/blog/2007/04/post-eccb.html
そんな「圧倒的優先順位」に僅かにキャラクター付与してみると、
「あなたが”愛○家を自称するなら”ペットの希望が第一でわ?」な論理も成り立つ。
こう考えると「圧倒的な優先順位以下のナントカかんとかを理由に部屋探しの判断を行ったとすると行為そのものが矛盾している事になる」ワケです。
これ矛盾しない事例は「なんせペット可と限定される選択肢だったので、圧倒的な優先順位以下のナントカに”圧倒的な問題があり”どうにもNGだった」となるのでこの時のNG時に体感される認知は”残念”になります。
意外と難解な話なってますので(笑
よーく上記の設定読み直してみてください。
<もとい>
となるとー
NG選択時の理由と体感認知が「残念ではなくスーッとNGである場合」論理矛盾が成立している事になる。
なんとこの現象は大問題なんです、
エライ事実が証明されているんですよ
「私は愛○家ではない」
ってここアイデェンティティーにも関わる重大事ですよね。
極論「ペットを飼おうって選択そのものが軽率だったかもしれない」
この部分ってペット飼ってうん十年とかのベテランからビギナーに対する警告としては定番の話でもある。
この説話が意味するもって、心理学的に相当深いもんじゃなかろうかと。
次回はそこいらへんに踏み込んでみましょう。
<つづく>
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