元来日本人は世界的にも”お酒の飲めない民族”とされていて(ご存知のように純潔日本民族等文化人類学的に存在しないので現実の混血日本民族の話)、その4割はアルコールを分解する酵素が何やらで「本当は下戸」です。
牛乳飲めない人の世界とほとんど同じですよ、
比して欧米はそのほとんどが民族的に飲める口なので(水道インフラが不十分であれば今でもワインは水代わり)、飲食店で酒類が飲めないのはナンセンスとも言えますがその反面酒類=”いかにもアルコール”とも言えないのです。
基本全員”飲める口”なので、飲めない人がよれよれになる状態がデフォでは無いからと言えるでしょう。
コントの演出で「酔っ払いが登場」な場合日本と欧米ではそのイメージも違ってくると考えればわかりやすいでしょう。
なものだから、日本の飲酒文化の背景には飲み会的な『共同幻想』が成立していて、高度経済成長時のサラリーマンは「付き合いで飲めるように鍛える(鍛わらないんですが)」習俗があったぐらいです(大学サークルにおける一気飲みで死亡事例が多発した背景にはそんな大人社会への真似事要素もあったのでしょう)。
結果、静かに飲むって行為の方がマイナーになってしまい(飲める口の人は介抱役になるので)本来飲めない4割の下戸が”所謂よっぱらい化する場”が日本の飲み会文化を作って来たと言えます。静かに飲む世界に近いのは「高級蕎麦屋・寿司屋・レストラン・料亭」であり、業態としても”飲み屋”ではなかった。
※飲めないのに飲むのは愚の骨頂に見えますが、砂糖をふんだんに使うスイーツや高カロリーの肉が食材とし一般化する前の原始時代〜近代までは、「高カロリーのご馳走フラグ」が脳内で走るのは日本においてもお酒だけだったのですから(なので原始時代のお祭りは家畜を生贄にして肉も食った)、『おいしいと判断する脳内フラグ』は生理的に有効だった。季節のお祭りに農村では村をあげて”飲めや歌えの大騒ぎ”→このあたりが『飲み会共同幻想・保守系集団心理』の原型でしょう。
流石に高度経済成長を迎えて、
甘〜いお菓子に事欠くことも無く(女性差別があった男中心文化時代は「男はアルコール・女性は甘いもの」という取引関係が暗黙に成立していた)、
ジャンクフードと知られる手軽な食事も高カロリーになりました(サラリーマンのメタボリックが心配されるぐらい)、
時代劇スターの若山富三郎先生じゃないですが、昭和初期の頃から十分に所得のある文化人なんかの中には当時から「下戸なので大福が大好物」な御仁は存在していて、
後に先進国化によって、「男性もスイーツを好む」な流れが一般化します。
そもそも飲めないのに飲むのは健康的じゃないですし、
飲食文化の方が文化習俗的に時代に追いついていないため(今でも”酔っ払いが騒ぐ”スタイルの店も多い)、早晩「お酒は飲まない層」が急拡大していると聞きます。
又、『共同幻想』崩壊過程によって「集団で飲む」行為も行為として合理性が成立しなくなってきましたから、
『飲酒率の低下と喫煙率の低下』
この辺は旧来の文化からの自主的離脱の代表例にもなってます。
単純に数学的に考えれば「旧来の飲酒人口は3割程度減少する」と考えられます。
(先日のキリンとサントリー経営統合等の動きはこのような情勢変化に沿ったもの)
街の景色も「一杯飲み屋より立ち飲みコーヒー店」が目立つようになり、
反対に”純喫茶”には欧米的cafe化(飲んで騒がない・集団で来店しない”アルコールも飲める”喫茶)が求められていて、この辺文化的にも整理がつくのに後10年程かかりそうです。
結論コンビニにおける事業展開だけが先行している(女性向きの酒類販売と男性向けのスーツ販売の拡充)。
そこで住まいはどういった方向に変化しているのかと言えば(笑
”中を取ってcafe化”がその中心にあるのじゃないでしょうか。
<つづく>
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飲酒率が下がってきているらしい(1)
2009年08月13日
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