半ばで終わりって事でしょう
横浜の方はちょっとわからない(そもそも横浜はフロントが変わったばかりで球団としての組織がまだまだなので→現場からフロント入りした高木由一が「何故尾花?あるワケ無い」な状態だし主力の内川・村田は来年FAって状況は誰が監督でも形になり難い)、
どちらにしろ基礎から作り始めたチームととして楽天ゴールデンイーグルスは野村向きの球団だったのは事実(阪神のようなタニマチやOB問題も無いし)、
”らしさ”は随所に見られるようになったけれど他球団から野村監督は警戒されても選手個々に対する警戒感(嫌われ度でもいいかな)は”まだまだ”で、むしろ「人のいい選手が多い」って印象じゃないかしらと思う。
センターラインがまだ十分じゃないから、
「半ばで終わり」ってところも野村らしかった。
彼の人生から言えば、自らのスキャンダルから南海を出る形になって以降『即戦力の建て直し屋的監督』としのての人生は変わる事が無く、メジャーや昭和の日本プロ野球における15年監督みたいな地位は望めなかったのは確かでイーグルスにおいて少なくとも「2位」の結果を手にしたのは阪神におけるエステブリッシュメントへの挑戦と挫折(ほとんど政治やメディアを巻き込んだ戦いだったように思う)を幾分か挽回したのじゃないかな。
最後は振興IT企業とのバトルまで演じて『常にプロ野球現場サイドの人』だった、
野村的に言えば、視聴率の後退含めてプロ野球コンテンツの防衛って部分に意識が強かっただろうから(本人はよく知らないと思うけれど)『ニコニコ動画の楽天チェンネル生放送』など実験的なプロ野球コンテンツの在り方に繋げた貢献は大きかった。
(そこも道半ばなんだけれど)
コンテンツ的には全国視聴率に意味を喪失し、地域性でも何でもいいんですが「限定された領域での高度の視聴率」は広告業界的には有利なもので(それを使えなかったら広告会社失格でしょうに)、ここも将来の可能性としてですが”実験的にはひとつのビジネスモデルを提供した”功績は大きい。
(ここもちょっと小沢と被るところありますね)
※古田の失敗と重ねると”まだまだ一枚も二枚も上だった”ってところかな、望むべくは、チームとしての内容が将来の方向性にどれだけ追いついていくかって姿がもっと見えたら良かったんだけど、タレント的にも野村の力量的にも(マジで高齢なんだし)コーチスタッフ的にも(球団フロントは足引っ張るし)条件は十分じゃなかったけれど、反対にこれ以上を望むのも無茶だと思うから(前述の他球団で言うところの派閥やタニマチやOBしがらみやら)、「望むべくも何もこれで十分、これ以上は高望み」かなと思う。
■いつまでも野村におんぶで抱っこじゃ『日本はいつまで戦後から昭和のモチベーションに依存し続けるのか』って話になるのだし、
「次の世代に託された」でよし。
やっぱりね、世代的には古田への期待を捨てきれない。
彼はどうするつもりなんでしょうね
(野球だけじゃなくてスポーツは総合的に好きなんだ的な主張でありながら、深夜番組で随分コアな野球好きぶりを発揮しているじゃないですか?、彼が真性の野球馬鹿として復帰することを期待しています:番組じゃくて監督としてやって欲しい)
仕事や暮らしって側面から考えると、
失われた90年代に日本は「すっかり現場を忘れてしまった」のだと思いますよ。
個々人の生活は現場にあるのだし、
個性化の時代って本来”現場主義”なんですよね、
しかし、経済のコアは金融であるみたいな無茶な論議が先行してしまい(需要を操作することはできない:一時的に可能での必ず赤字債権の”落ち”がつく)、
現代社会の日本における個性化は「=辞表を書く」みたいな事態に陥ってます。
振興企業や独立系が伸びるのはあるべき方向性に思いますが、
昭和保守が守旧派として足引っ張った次には(今回の”契約上の任期満了解任”なる新語の登場じゃないですが)、新保守派の現場軽視が待っていたと、
ココ報道メディアが”ライブドア潰し”やってた時の論点は「トンチンカン」で、堀江自身が錬金術に走った成り上がりっぷりは批判されてもどうにもならないところあったかもだが(この時ままだまだ守旧派エスタブリッシュメントとの戦い時代だったのだし)、彼のTシャツは自称ニート時代の原点なのだし、彼には開発技術者へよせる現場主義の視点が残っていたのは確かで、よっぽどその後やってきた「守旧派が派遣労働者雇用で大騒ぎ事件」の落ちって部分を見れば「何がトンチンカンだったのか」よくわかる。
※報道メディアがさんざ持ち上げた『モノつくりの現場』モノつくりの会社は何をしていたんでしょうね、
古田に期待をよせるように、
振興企業や独立系の世界にも「号令をぶち上げる」的なですね(笑
現場から時代を引っ張っていくような勢いってのがなかなか登場できない。
(今回の楽天騒動で失った期待は大きいのだし:当初から疑問は大きかったから失望というか”やっぱりか”みたいな部分あるけれど)
今回「野村野球が何を伝えたのか」考えてみると、
分野は昭和的モノつくりの世界になってしまいますが、
こういうところ
↓
史上最強のバイク『スーパーカブ』が電動に
http://wiredvision.jp/news/200910/2009102320.html
コンテンツ的な面白さっていうのかしら
時代を引っ張っていく強さは現場にあるって事でしょう。
(日本はこんな新しいコミューターを聞いたことも無い中小企業がドーンと融資を受けてバーンと売り出すみたいなファンダメンタルがまだ弱い→老舗”本田頼み”ってところは”野村頼み”によく似ている)
そりゃ政権交代したばっかりで「これから行くんですよ」なのかも知れませんが、
思い返すに「失われた90年代」の喪失は痛かったですね。
(球界にとって古田ヤクルトの失敗が重いのと似ている)
部屋探しというか、
不動産の世界においてもコンテンツの面白さといいましょうか、
「アレれ、こんな部屋に引っ越すと生活そのものがドーンと変わってしまうかも」みたいな力のある部屋は好きですね(その時選択としてベストかは別として)。
※部屋探しも一番面白いのは『内見』ですから
不動産で言えば「そのまま失われた90年代はバブル崩壊」だったワケですが、値下がりをチャンスにして大転換があったのかと効かれれば、そのアイデアは追いつかず(というか資産価値の下落はまさに失われた価値であって担保価値の下落によって変化を生む融資も期待薄だったのであって)、今ボチボチと始まってきたんだと思います。
個性という意味では『戦後から昭和のモチベーション』=『古築建築の一人勝ち』な現状も事実ですから。
就職的にも静かに第一次産業の人気が高まっていたり、
「野村野球」ってものは”何か”への挑戦の姿だったのかもしれません。
心理学的に言えばまさに「抗(あらがう)」って姿そのものだったように思います。
(今期交流戦で巨人にボコボコにされた時の野村監督の荒れっぷりはマジでした、故意死球も持さない闘争心で「もうじき”後期高齢者”医療制度の対称年齢の人なのか」と思えない姿だったのは忘れられないですね)
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野村野球も終わりか(4)CS第2ステージ敗戦
2009年10月25日
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