キャッチコピーであるとか抽象概念というか、古くはソフィストが扱ったレトリックであるとか、これってひとつの言語を使った無意識操作みたいなしょうしょう如何わしい話です。
当然広告の世界は結果を出してなんぼのところがあるので、資本主義・自由主義社会においては販売から政治の世界までこういった抽象概念が横行します。
意外や意外相当具体的表現も抽象概念だったりするもので、
「いい部屋」の謎かけは誰でも簡単に答えられると思います。
「誰にとって何が”いい部屋”なの?」
”いい部屋”ってところだけ抜き出しても実は何も言っていないのと同じってトリックです(笑
(実際は「分譲開発業者にとって都合のいい部屋」だったり「銀行にとってとても儲かるいい部屋」だったり「不動産賃貸業者にとっていい部屋」だったり、そういう可能性も込みの”いい部屋”に違いないんですからね)
それが一歩踏み込んだ表現ならどうなるか、
『絶世の美女』
何か一見具体的に思ってしまいますよね。
だけれども、冷静になって考えると
「絶世ってどう絶世なんだ?あれ?絶世でどういう意味?」
だったりするものです。
心理学的に見ていくと、私たちが日常使っている言葉ってものは間接的に自意識の緊張を抑制したり(その方が楽だから)、一種の自己暗示のようにストレス無く社会適応に辻褄を合せることを優先するレトリックに溢れている訳なんです。
ギリシャ哲学じゃありませんが、
いざ常識を疑えとですね、全国の人が「分譲マンションって何がいいんだ?」なんて素朴に本音で考えられてしまうと経済立ち行かないって世界もあるのです。
本来上記の発想は昭和の高度経済成長の話で、『ハードワーク』や『受験→出世戦争』のストレスとの間のバーターのような一面がありました。
端的に言えば「分譲マンションが本当はどうかなんか考えている暇が無い」時代だったのです。現代社会はどうかと言えば少子化や高学歴化、インターネットや社会のインフラも整備され(経済指標とは別の意味で爆発的な基礎的生産性の向上がある)各個人が自分の時間の中で「分譲マンションって本当はどうなのだろう」と考えそこに個性化(多数の結論)が生まれ、同時にマルチラテラル(多角多面)なニーズとなって→多様な経済需要に繋がり経済は新しい成長局面に入る”その手前”の状態です。
※厳密にミクロ経済学的に見ると高度先進国の労働生産性は内容において種類そのものが違っているため(指標化されない個性)、各国間での生産性比較には根本的に無理がある。巷の生産性論議は自由主義経済学派にとって”都合のいい”労働分配率を引きさげるための方便でしかないワケです。(為替評価と矛盾する関係にあるんだから)
「なかなか”いい部屋”ってないものですね」
↑
結論、この言葉って実は論理矛盾しているんです。
(若干意味は違うんですが”主語無し論理”みたいな構造になっている)
全く同じ文法構造にある言葉が以下
「なかなか”いい人(女性・男性)”っていないものですね」
「えっそうかな〜、何か違うみたいな気がする」みたいな。
こういった言葉のレトリックってものは『昭和の残滓』のようなもので、
実は現代社会においては全く意味が無いものです。
うっかりひっかかってしまうと、迷いや不安が増すだけで(その不安が希望価格や希望賃料を無意識に押し上げたりする)、何も得する事がありまんよってお話でした。
この話は結構奥が深いので、
次回も引き続き考えていきましょう。
(最初の表現の”答え”ですが心理的な本音は「なかなか何が自分にとって今いい部屋なのか(或いは何が戦術的妥協点なのか)はっきりわからないんですよね」だったりするんです)
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いい部屋幻想(前編)
2010年09月22日
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