建築にたとえると『往年の昭和レトロ建築が凄い』みたいな話と被るような気がします。文明の進歩には「常に最新のものが進歩的である」という神話がありますが、必ずしもそうとは言えない要素があるのです。
■重要な鍵は「市場原理によるコストダウン」です。
単純に生産性が向上するのではなく、生産性のためにコストダウンが目的化してしまうところがキモかと、
近いところで言えば90年代にあった「CDよりアナログレコードの方が音がいい論争」が代表例かもです。
結果として今現在(動画におけるDVDのスペックと同様に)当時のCDフォーマットはスペックとしてまだまだ貧弱だった的な判断は半ば確定しているのじゃないかさえ思えます。
(動画に関してはブルーレイ的基準であるHD基準の台頭で更に高画質が求められる形になっており←勿論圧縮技術も別途重要なワケなのでファイルがやたらデカくなるのは間違いでしょ。)
カメラファンにおける「デジカメVS銀塩論争」とまったく同じでありまして、
えーここまでの話で「しかし結局は技術進歩で回復されるのでは」と思われるかもなんですが、そうそう簡単な話では無いのです。
市場原理の中で見直される事も無く消滅しちゃったりすることも珍しくないからです。
レコード(CD)屋さんが消え
電気街からバラコン売り場が消え
(オーディオ専用のコンデンサーや抵抗はパーツ的にも消え)
高度技術を必要とするスピーカーの木工技術が消え
PCの世界で言えば付属機器レベルで普通に優秀だったキーボードが消え
(現在は専業高級キーボードメーカーもありますが生産終了したものも多い)
非電気街的カメラ屋さんも消え
(プロの世界では撮影時の照明技術も危ういそうです)
↑
などなどな状況なのに「今でも真空管アンプは大人気」ってどうなの。
(※文明の進歩による「技術との相克」元祖は「真空管VSトランジスタ」でしょう)
建築で言えばタイル職人さんであるとか(2×4建築の台頭で大工技術の見せ場も後退しているのかもしれません)、どこの世界にも失われた技術みたいなのあるのじゃないか。
■『枯れた技術論』ってのは「ひょっとしたらとかになる前に熟成された技術を保存しておこう」なる側面もあるのだと思うんですよね、
CD台頭当時ですら初代機種に近いフィリップスのCD34が名機認定されるなどどの時代どのジャンルにもあるのでしょう。
住居における「レトロ回帰」や「リノベ」とかのバックグラウンドにはそういう『枯れた技術』や『熟成された技術』への信頼も心理的に隠れているのだと思います。
(具体的な関係は薄いと思いますが)
かといって技術進歩を遅らせればいいみたいな話は無理筋です。
■鍵となる「コストダウン」は水準以上の製品を発展途上国の本格的経済成長を待たずに普及させることに繋がってますし(この辺は医薬品における『ジェネリック』にも被る話かと)、同時にその「コストダウン」が後発国の経済成長の鍵ににもなってます。
考えてみれば昭和後期に盛んだった「世代間論争」というものは単に『共同幻想のズレ』というような事では無くって(当時の論旨は”そのまんま”ですが)、その心理的背景に『枯れた技術消失の危うさ』のような不安もあったのかもしれないですね。
(※直接『枯れた技術』保存への関係性があったという意味では無く心理的不安として現れていただろという趣旨です。)
大変難しいテーマなんですが、
実際に「後から困るよ消えた技術」なんて話には枚挙にいとまがないのであり、
(現在進行形なところでは「農業技術」も含まれてきそうです)
「どこの世界にもある『枯れた技術』は、なにげに大事にしておくのが吉」ってたわいのない結論にしかならない話でした。
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『枯れた技術』はアリでしょう
2012年06月09日
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