ヤフーオークションってところはPCなんかの故障歴なんかを探るにも便利なサイトで(ジャンク化して流通している型番の故障傾向がわかったりする)、何気に見ていると、
「やっぱ所謂一般コンシューマー向けのパッと目につくようなマシンは壊れる」のです。
それに比べて法人向けモデルとかは強固な事例多いですし、所謂『このモデルの持病』のように語られる典型的故障とかも少なかったりします。
(仮にあっても次期モデルでは解決しているとか)
日本のモノづくりの怪しさの背景に「実は底が割れた」ところもあんのかな〜と思ったりします。
昭和の景気のいい時代はPCなんか2年3年で買い替えとかね普通だったりしましたから、SON○タイマーなんて話じゃありませんが、家電製品開発段階の想定耐用年数は(同じ日本製でも車産業などと比べて)決して高くなかったのじゃないかと思います。
それでも、
昔は「幅があった」と言いますか「遊び」があったといいますか、開発の余裕というか「ちょっといいパーツを使ったり」開発部単独でここだけはこれみたいな拘りなどが許されたと思うのですが、グローバリズム以来の価格競争はそういうった余裕を一切許しませんから、キツキツになってんのかな〜と思いますね。
(※大手の某モデルなんかどっから考えても仕入れ原価500円もしない電源プラグ回りのパーツをケチって本体どっこも壊れていないのに通電しなくなる持病があったりね、ちょっと唖然とするというか、、更に某有名大手有力廉価モデルに熱暴走持病があったり、)
思い出してみると、往年の力作にも持病はありましたね(笑
やれこのモデルはインバーターが弱いだとか、モニターのフレキシブルケーブルの接続甘いだとかね、ある種の錯覚なのかもしれないですね。
当時のPCなんてそりゃ〜高価なものでしたから、数千円の交換パーツも「安上がり」に感じたものですが、現在の本体数万モデルだと数千円の交換パーツ3個で中古の本体が買えるとかなってますから、当時と比べて「致命的感」が大きいだけなのかもしれない。
とはいえです、
「枯れた技術重視の法人モデルに比べて一般コンシューマーモデルが”ちょっとな〜でもいい”な傾向」は確かにあるように思います。
これをやっちゃうとメーカーのブランド信用力にも関わる事なので(SON○タイマーなんかは「性能の裏返し」だったのである意味好評価の一種だったんですが)、不注意というか”競争力”なんて実態の無いモノ相手にテンパっちゃっているのかな〜と心配にもなります。
昔の日本建築には欄間だとかね、必ずしも機能性として必要では無い造作が随分ありました。
そういったものが全て取り去られていく現状も「どうなんだろうか」と思うワケです。
(確かに和室造作は様式的なものですが、下手なデザイナーズなんて相手にならなないぐらいプルーフされ技術や知識など力の入ったものでしたから。←超高級戸建てなどにはなんだかんだいって「茶室風」など力の入った和室があったりします。)
建築の場合最近は「とにかく工期の短縮」に偏り過ぎていないか、「大丈夫なんだろうか」とこちらが心配になる事も少なくありません。
古い言葉ですが、
「安かろう悪かろう」ではね〜、立つ瀬が無いというか、、
あまりにも個人的意見なんですが、
今でも「ブラウン管モニター」とかあれば買う人いたと思うんですけどね。
(今さら作れば大変高価になっちゃうことわかりますけど)
特に日本における家電のモノ造りは右往左往し過ぎだったのじゃないでしょうか、
車産業はかなり戦略的にモデルを絞ったりしてブランディングを重視していた←これが可能だった背景に政府の優遇措置があったのも事実なんスけどね。
高度経済成長期ならいざ知らず、新製品発表ペースであるとか本来成熟した先進国ともなれば、家電作業は信頼性重視のスローペースでもいんですよ。最先端と十分なテストを経た完成度の高いモデルが少々高価でも長持ちするって流れでいんじゃないかと思います。
安くてしょっちゅう新製品とかって流れ自体がバッタもんみたいに見えるんですけどね。
車産業と比べると家電の脆弱さはちょっと極端ですよ(車産業とはスケール違いますが家電に対してもエコポイントであるとか優遇措置あったのだし)。
■根本的なとこですけれど
やれモノ造り文化みたいな話を耳にしますが、80年代の中曽根政権前川レポート時代からですね、産業の「ソフト化(三次産業化)」は鉄板の経済方針であって、二次産業は需要の飽和もあるけれど国民に十分に社会資本的に豊かになって”しまった”を踏まえての三次産業化ですから。
米国の場合は極端に金融産業云々になりましたが、所謂サービス業の拡大にシフトするべきって話が出て「かれこれ30年ぐらい」経っちゃっているんですよ。
(経済のソフト化なんて論議してたの「私が経済学部の学生してたころの話」ですよマジ、)
グローバリズムの解釈しかり、
なんかピントがズレてるんじゃないですかね。
どこがいかんのかな〜、どっかの経済団体が極端に強いロビー活動しているとも思えないですし、
何故『競争力』とか発展途上国との競争とかの話になってしまうのかわからないのですよ。
どんどん追いつかれているなんて話もありますが、国民一人当たりのGNP比較すれば日本は圧倒しているのであって、経済界というか産業界は何故わざわざ発展途上国経済と同じ土俵で競争しようとしているのかがわからない。
(妙な勘違いで余計な海外進出して、余計に悪循環化しているように見えるんですよね。←この手法は植民地主義だから、これまた随分昔の経済学ですよ。)
数字見て分析しているのでは無いので、随分乱暴な憶測なんですが、
■「既に依存関係に無い米国市場のシェア」とかの競争力の事が「所謂ひとつの競争力という抽象概念」の元ネタなんじゃないですかね。
ぶっちゃけ今の日本は米国市場への輸出とか額的にもたいした事は無くて(国内需要のがよっぽど大きいし車の生産なんて米国向けのものは現地で生産してますし)、
その必要があるのかはともかく、仮に大儲けしたければ中国に中国では生産できないものを売ればいいだけの話だったので、下手に中国に直接投資せず(ODA的間接投資でよい)売り続けるだけでよかった。「いやいや技術的にもすぐ追いつかれますよ」なんてご意見あるかもですが、
あれれ?日本の売りって「生産ラインなりの管理だとか技術以外のノウハウが凄いと随分自慢してたじゃないですか」その話はどこいっちゃったんですか。
しかも、日本は所得に困っているワケでも無いので、中国の製品が安すぎれば適正に輸入品に関税かければいいだけです。
↑
ここもですね、資材購入だとか「後に米国向けの輸出するため」安価に輸入部材が必要とかになってるのじゃないですかね。(米国との貿易摩擦で米国向けの商品は米国内で作れってさんざ言われてかれこれ30年→)実際米国向け輸出生産額の対GNP比なんて今やたいした額じゃないのに。<対中輸出のがよっぽど額大きい。
なんかおかしい、意図がよくわからない。
あんましこの辺の事を考えた事が無かったので、手元になんら数字無いのですけど、
90年代以降の日本は『経済運営』そのものを根本的に間違っていたのではないかと、ちょっと考えたりします。
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住まいに関係あるのか微妙な話ですが、
2013年04月26日
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