実際風水などと知られている何も結局科学的な風の流れであるとか、これを基礎教育も無い時代にひとつの法則として根付かせる「大衆科学の伝導」みたいな話だと思いますから、文明化というのはそういった迷信なるものをネタバレさせるものなんであります。
しかし、経済学に『ミクロとマクロ』があるように、都市計画であるとか地域の再開発であるとかという論議は本物のの建築家はそこまでやるんですが(ナチスのシュペーアじゃありませんが)、なかなかどうしてテクノクラートが理詰めでどうこうとかダイナミックにできない部分があり「基本できるところから」ですとか「便利な方に」ですとか「行き当たりばったり(混んでる道から広げてけ)」だったりしてしまいます。
これはこれで混沌でアリなところもあるんですけど、長い事不動産取材などで現地歩いてますと「あーこの街はここがアレだわ」みたいな感じってあるんですよね。
いえいえ何もオカルトチックな話をしよって事では無いのです。
経済学同様に、かなりここ心理学的ものではないかと、
『道路などが窓の先進行方向に先まで見える』
この反対が
『窓の前がすぐ隣接の建物の外壁だ』
と考えればミクロレベルで誰にもわかっていただけるかと思います。
街歩きでも、「どーしてこの区画単位はこんなにデカイんだよ」であるとか「この商店街はこの道幅だから効果的」だとかあるんですよ。
(多分ここは店舗ファサード(前面景観)の平均的縦横比と道路の幅とで相関関係があるのだと思います。)
見ようによっては心理的錯覚な一面もあるんですが、これを「効果的デフォルメ」と捉える事もできるのでありまして、
「ここにタワーは無いわ」だとか「ここにタワーならもっと並んでないと」だとかもあるんですよね。■私は建築家ではありませんからそれを論理的に説明することできないんですけど、人間の個体がなんとなく安心するパーソナルスペースとその連続性みたいな設計思想はあって自然でしょう。
みなさんもそういった感覚あると思うんですよ、
ええ「某地下鉄駅の乗換ルートが心理的に遠すぎて(時間はあんまし変わらないのに)嫌になる」であるとか「○駅のホームだと5分電車待ちしても案外平気だけれど○駅の5分はイライラする」だとかです。学が無いのでそれを論理的に説明できないものだかから「何か嫌な感じがする」みたいな言葉しか出てこないとかね。
都市文明は随分と直線に構成された遠近法的世界であったりしますので(欧米建築から見ると日本は直線多過ぎらしいんですが)、否が応でもこの四角形の連続みたいなものが視野に入らないというのはかなり絶望に近いものになります。
(それは空でも見れば雲もありますが、ぼけっと空なんて見てたら足元おぼつかないですからね、)
■確かこの辺のデザインって「高速道路建築」とかには明快にあった筈で、
何m以上直線が’続き過ぎると居眠りなどで危険だからコーナー設けるだとか起伏つける方がだとか、そういう安全策です。
(※逆に交通事故の多い道路や交差点には人間工学的問題があったりとかの論議もありますよね)
そんな訳で「街の評価」だとか「駅からのルート評価」ですとか「建物外観からエントランスへの流れ」や「玄関からキッチンまで」であったり「居室内限定」そして「窓からの見出し」までですね、これらはトータルで意味持ってきます。
(話せばきりがないので止めてますが、やれ壁紙がだったりバスルームのアレがなど各論は尽きません。)
各論は個別にあるのは事実なんですが可能であれば、ここ一連の流れでトータルで見て欲しいんですよ。ややもすると内見で居室内だけだとか、関心事項の設備だけに視野が限定されてしまうと「木を見て森をなんとか」みたいな残念な事にもなり兼ねない。
(確かに所謂一般的なターミナル営業店が得意とする「いきなり車で案内」は無理があると思います、、、←私はペーパードライバーなんでもどうにもこうにもなんですがww)
■随分とこのブログで書いてきた事なんですけれど、
優先順位から言えば「部屋より街です」、
そしてペットを飼うなら「飼い主の都合よりペットの都合です」。
更に「街選びで雑誌情報とか読んだり友達のなんとかはマズイでしょう(笑」。
街選びはひとりで散歩しないと実感わかないと思います。
(ひょっとすると内見で友達ついてきちゃうとかもアレかな〜)
そして可能であれば、自分が心地よく感じる”空間勘”みたいなもの会得しておいて欲しいですね。多分これって各人のパーソナルスペース的に違うんじゃないかと思うので。
(過去に黄金律的に試みられた『モデュロール』とかが一般受け的に「なんか狭い」と評価されたりする背景は、芸術家でもある著名な建築家が強い個人主義を持っているからでは無いかと。←そこまで強い個性を押し出せる人はなかなか一般的では無い。)
オカルトでは無いんですけれど、
確かに、街にも部屋にも建築にも「数字には表せないナントカ(大学で建築とか学べば数値化できるんだと思います)」があるのは確かであると思います。
といっても誰彼と無く市井の人々が社会人になってから建築工学学ぶとか無いですから(笑
えー、ここはアバウトに感じ取るって事になっちゃうワケでして、
随分と乱暴な話ではあるんですが、わからんから無視していいってのは危険に思います。
そこを間違うと、「これという不満はどこにも無いのに自宅にいるのに疲れる」ですとかね、そういう事有り得ますからね。
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不動産オカルトの話をするつもりは無いのですが
2013年09月20日
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1970年の週刊明星の記事に赤坂6丁目の某マンション(1964年完成)の一室で殺人があり、浴室でバラバラに解体した事件が載っていました
勿論マンション名も…
別件では当時の週刊誌に部屋番号も掲載されていましたが、1992年頃に国会議員の愛人が秀和三田綱町レジデンスの自室で自殺した事件もありました
他には1970年頃に麻布三生マンションの自室で元華族の女性による事件…
(ハリセン突っ込みどころでしょww)
いやあURLは公開できませんが、専門のサイトとかも存在します。結構有名みたいですよ、
retourは管理業じゃないので、具体的な情報は持っていないんですが、マジのオカルト事情はほぼ電気的なアレなので(我々も生き物ですからもう何十万年に渡って先祖全員亡くなってますからねオカルトネタがほんとだったら大変ですw)、
専らの問題性はやはり「心理学」だと思います。
■「不安」ですね
現実認知において「不安を起点とするか否か?」なんですよ。
今回の話は、遠近法的な空間認知などそのものが(ケースバイケースで)「相性問題」のような部分もあるでしょうってお話です。
なにせ、各人のパーソナルスペースも広さ違っているでしょうからね。
(※ネコなんかも”自分で”寝床を造るようなしぐさとかしますから、各個体「安心感」のある空間認知はバラバラなのだと思います。)