賃貸住宅設備条件におけるキーアイテム、それは「洗濯機置場」だったりします。
キッチン設備に次ぐ優先事項では無いでしょうか。
(ランドリー派の私には全く関係無いのですがww)
男性の方は本音「外でも置けるところあればいいよ」なのかも知れませんが、設計その他女性のニーズを最優先とするこの業界の場合、とても重要な要素です。
洗濯機の歴史としては、二層式に始まり全自動からドラム式洗濯乾燥機ときているところとなりますが、洗濯機の設置場所も「ヨーロッパ式デザイナーズはキッチン横に」「米国式ならランドリールームっぽく洗面室に」「日本式に洗濯物を外干しするから全自動ならベランダバルコニーでもいいよ」ですとか「昔は(配管事情から)浴室内に洗濯機置場もあったっけ」などなど様々であります。
■洗濯乾燥機があるのなら「いっそのことクローゼットに洗濯機がビルドインされてもいいのでは無いか」などと考えられるのでは?
配管的に無理っていうか、この場合「洗面室を拡大してウォークイン的存在として”洗面・洗濯・衣類収納”を兼ねる」としてみたらどうでしょう。
微妙に何を言っているのかわからない方多数だと思いますから(笑
具体的なイメージを書いてみますと、
・乾燥室が=ウォークインでもいいのじゃないか
・普段着る衣類は洗濯から収納まで全自動。普段着ない衣類だけが居室にあるってコンセプト。
(高齢者の一人暮らしなどに貢献大だと思いますよ。)
・洗面が実質ランドリールーム兼乾燥室になるのであれば洗濯機はドラム式である必要が無い
・収納兼乾燥室だと、温風吹き出し口開口制御でアイロンいらない機能も実装可能では?
・100%この部屋は「布団乾燥室」にも使えます
・全自動洗濯機から→自動でハンガーへとかの可能性は?
(ハンガー無理ならワイヤーラックみたいなところに伸ばして置いて進む機能ぐらいは可能じゃないか。)
・勿論乾燥機能は「夏は気化熱で冷房に、冬は暖房へ循環させる」
(この機能は「単独使用で浴室冷房や浴室暖房にも転用可」)
■洗濯機を白物家電と見るから開発に限界とかが見えちゃっているような気もします。
これを住宅設備として考えれば、まだまだ先進化の方向性出てくるのではないかしら。
そうそうあのドラム式もですね、
回転利用してハイブリッド自動車でお馴染みの回生ブレーキ式の発電機能つけるべきでしょう。
(乾燥電力は電気代無料)
これ通常の全自動でもできますわね(脱水電力は無料な製品ペットネームが「脱水し放題」)、
どうしてこういう製品ないのかな〜
洗濯の周辺にはまだまだ発展性があると、思うのであります。
(更に「そんな洗濯機に適した”新・スーパー楽なお洒落部屋着”」なる新しいデザインで新素材な室内用衣類が登場してもいいですよね。←夏冬とおしてエアコンの設定一度下がると更にエコですね。)
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一つ目は高齢者について。
例えば癌などにかかった時に高齢者に手術するのは間違えだとの理屈は分かりますが、人間というものはいざとなった時には死ぬのが怖いです。
まだ生きたいと思うからわずかな可能性をかけてでも手術を選択する人もいます。
心臓が悪くし、ペースメーカーを入れたり、手術して生き延びられるなら、やります。
まずは死ぬことが怖くない、死を受け入れられないメンタル面の問題をどうにかすることが先決です。
死ぬことが恐くない、死を受け入れられるなら手術なんてしませんから。
二つ目にはベーシックインカムを導入し、「中途半端な就労では所得が増えない」点を解消するのは賛成ですが、中には働けない病人や障害者などがいます。
働けない人が月に10万円のベーシックインカムで家賃や医療費を払い、生活することはできません。
毎月の家賃や医療費などを無料にするなら良いですが、そうでなければ月17〜8万のベーシックインカムを支給するべきです。
私利私欲で書いてるわけではなく、問題課題として書いてるのですが、理解して頂けないようですね。
「凄くザックリしたベーシックインカムの試算」
http://kagewari.seesaa.net/article/425681766.html
必要ある人が医療費の無料化などの政策を当て込むってのは常識で(厚生省を潰す訳ではありませんから)、制度として子供手当てや農家の所得保障や低所得者への所得分配や年金や生活保護などの行政が「全部別個の役所がやる行政上の無駄」がすごくデカイんです(下手するとどこやらの支給額が大幅に変化するほどになるでしょう)。
ベーシックインカムの優位性はそこに尽きます。
目的は「合理的政策だから」であって、高福祉を意図したものではありません。
(※現行制度のまま高福祉政策を推進すると消費税30%とか必要になってしまい、果たしてそこで経済がパンクしないのかって話になります。)
また、医療問題もですね。
昭和の意思は「倫理的に高齢者の手術を控えた」んです(病院の経営優先してどうする的に)。
そもそも体力的に「手術が原因で死亡に至る可能性が高いから」です。
(※場合によっては病院の経営上、必要が無いのに患者に負担をかける高度医療が選択される場合があるのもご存知のとおりです。)
私の個人的経験など、主観込みの判断ですが、医療界のなんとわなしの常識が場合によると患者の寿命を縮める場合がある事を理解するべきです。お医者さんにそこまで判断求めるのも間違いですし。
(※そのためにインフォームドコンセプトがあるのですから。)
ここも冒頭引用記事で書いているんですが、
業界的に医療費が売り上げ40兆とか異常なんですよ。それが国の主力産業とか経済学的に無理があり過ぎるんです。
医療業界の今後を考えても、現状のままいっちゃっていいのかって論議はあるべきだと思います。←ここは建築業界における産学双方が新築技術に傾斜し過ぎて技術開発からして歪になっているのと同じ判断です。
ISP関連の高度医療も場合によると「病院の無い医療」に辿り着く可能性あります。
(※これじゃ「人生最大の目標は病院に行く事だ」みたいな事になり兼ねない。←近未来のSF的に考えれば「高度に発達した国は病気を克服し病院が無い健康社会」となっていなければ嘘ですから。←犯罪が無くなったら警察が必要無くなる論理と同じです。)
加えて、ベーシックインカムの金額ですが、そこは「可能な水準を追求する」のが全てです。国が消費者金融から借金して破綻するような政策はできません。
デフォルトして全員破産した結果、国家として食えなくなって死屍累々となってもいいなら別ですけれど。
ここも先進国の心得かと思いますが、先進国ほど「フリーエコノミーが高度に発達しています」、所謂ネットなどに見られる無料のコンテンツや情報などです。
(このブログの閲覧も無料ですし、かさらなさんのコメントもその一部を構成するものです。)
追求可能な幸福度は金額では決まりません。←この辺は情報弱者な方への積極的な広報などが優先されるべきでしょう。
「フリーエコノミーも立派な実体経済ですから」←ここに参加する行為はある意味生産活動でもあるのであり、経済における生産活動は労働に限った話ではありません。
※それから心理学ブログにおいて頻発した問題から「評論記事などの場合コメント欄を閉鎖」しています。今回のように別記事コメント欄に書き込む行為等は今後行わないでください。同様事例が続く場合強制削除します。
@医療問題とは別になりますが(最終的には医療問題と繋がると個人的には思いますが)、死への恐怖、死を受け入れられない人のメンタル問題への改善はどうするべきでしょうか?
A幸福度は金額ではないのは仰るとおりですが、働けない病人や障害者には国保料や家賃も含めて毎月10万(医療費は条件付きで無料でしょうか)での生活は無理です。
高福祉国家を目指すことが目的ではないなら、10万の支給額(足りない分は働いて補うことができなくても、養ってもらう人がいなくても)、10万円の中でやりくりするべきだということでしょうか?
できないなら自殺するしかないですよね?
不動産業界は浮き沈みが大きいですから、稼ぎが少ない時には(私はフリー契約ですから)余裕で月の所得10万以下になります。
月に10万あれば?余裕で5千円以上貯金できます。
(国保から光熱費から全部込みで)
10万確保した時点で正直「今月は楽だな〜」と思いますが何か?
(そもそも新卒初任給の基本給部分は15万前後だった筈です、どこの世界から18万とか大きく出た話をひっぱってきてるんですか。)
あなたの話は論理破綻しており、
予め「こうでなければならない」と根拠も無く条件が設定されており(何の学説ですか・どこの総務省統計ですか)、「この条件を満たさないからダメだ」とか寝言みたいなことを言われても口ぽっかんですよ。
妄想舞台劇にもなっていません。
(しょっぱなから観衆のダメ出し連発でしょう。条件設定からして滅茶苦茶なんだから。)
それから質問の件ですが、
死の恐怖なんてものは”連想”からきたもので(いわば投影的な)、元ネタは『承認欲求』です。
どこの誰の権威に認められるだとか、寵愛受けると特別な人間だって設定なのか知りませんが、「こうでなくちゃ幸福とか認めない」→「そうなっていない以上絶望しかない」こういう深層心理の設定があるからであり、
ケアも何も、話のバックグラウンドは死の恐怖でもなんでもありません。
(そもそも地球上の生物には個別の「死の恐怖」などの概念なんてありません。生物は生まれて死ぬから生物なんですよ?じゃなんですか?この世の生物は植物から魚類から哺乳類まで全者「死の恐怖」とやらに心を病んでいるのでしょうか?)
■あなたの言っている「死の恐怖」として語られている話の内容はどういうものか、これを分析するならば、
つまり、「こうでなくちゃ幸福とか認めない」と言う部分に所謂「幸福な普通の人(その内容は18万に現れていりように遥かに現実の平均値や実状を超えている)」の設定があり、親なり恩師なりの”権威者”が「あなたを認めましょう」と言うと、天からその権利が与えられるかのような設定になっとるんです。
そして、脳内では「(遥かに平均値や実状を超える)どこの世界の普通の人か知らない条件設定」が、あたかも自分以外の一般人は全員享受しているかのような妄想になっている。
↑↓
この設定があるから、
(実は実情そんな平均値の無い世界の)あなただけの『普通の人設定』と比較して(偏差値認知=権威性認知)、
→「そうなっていない以上絶望しかない」という流れで(ルサンチマン的に)、復讐や怨讐というような感情が「(不愉快過ぎるから)もう死ぬしかありませんね」みたいな興奮を呼んでいるであり、
死の恐怖があるのではありません。
「死ぬ死ぬ・死んでやる」と不快感情を煽っているのはあなた自身の強迫心理であり、ガチ・メンタル問題です。
対処としては、「そりゃ心理学含めた、幼児期からの強迫心理に至る流れ」をネタバレ解体(脳内の背景事情はどういう事になっていたのか)していくメンタル問題の典型的な対処以外に無い(現実化ネタバレさせて省みる)。
そして、自立的思考の回復です(依存性からの離脱)。自我スタンスを「脳内設定により『被(こうむる)』認知」から、「現実に『抗(あらがう)』主体的思考」へ転じる事です。
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