これは心理学ブログに書いた話なんですが、
日本の伝統文化(保守系『共同幻想』)において、
「おてんと様」「世間様」「他所様(よそさま)」「人様」ってのがあります。
欧米などに顕著なアブラハムの宗教とは違いながら、緩く権威の神聖性を漠然と意識させる概念です(本来の趣旨は公的合理性と思われ)。
■確かに現代社会は『共同幻想』崩壊時代ですが、
文明化によって意味を成さないとして解体される『共同幻想』は数あれど、国家や通貨、言語などの『共同幻想』は崩壊させる意味が無いので、文化伝統や慣習に姿を変え残っていきます。
「おてんと様」「世間様」「他所様」「人様」なる概念も神通力みたいな効力は落ちこそすれ、(取り立てて個人を抑圧するものでは無いので)知見として残っていくのだろう言葉です。
一般的には『他所様』マターに対して遠慮がちに対応するのが日本の文化であり慣習です
「それは他所様の事だから関係無いでしょ」
<そうなんですよ、本来お隣の話に深入りしようって日本人はいません>
ところがどうでしょう?
お隣との敷地騒動であるとか、例の近隣高齢世帯の保育園立地反対運動など、
●「ここは”俺様”の土地だ」に転じた瞬間、
ネタとして他所様の話では無く、自分家(じぶんち)の話だとなれば、
内省非干渉リミッター解除だけでは無く、
血縁間の怨恨にも及ぶ琴線が全開放されますので(ヤクザの出入りですね)、
血みどろの戦いに転じるのであります。
昔マル系とかってカルトな経済学で「私有財産はヤバいって」と言った人がいたとかいないとか
それも随分無茶な話だと思いますが、
着眼点としては、あーなるほどねと、
心理学的には「投影」が関係しており
その事案を”他所のこと”と認識するのか、
はたまた”我が家の一大事”として認識するのか、どえらい違いになるんでございます。
私有財産の権利は勿論重要ですが、
原始時代は誰の土地でもなかったんだから(笑
300年規模ぐらいの時間感覚想定いただいて、
まずは「冷静に」と思うのです。
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