<少し補足追記>
国葬がどうだのくだらない論議には興味が無く
(何葬だろうと、もう安倍ちゃんにはわからない)
殊更に宗教信者でもない私はひたすらにご冥福をお祈りするだけなのだが、
心理学的に言えば(個人的見解だけど)
「葬儀は残されたもののためにある(喪失のこころの整理をするため)」
或いは彼の目指した政治信条を継ぐことを誓うものもいるだろう、
感謝を伝えたものもいるのだろう、
はたまた「それでも君は間違ってる」との思いの人もいたかもしれない、
<追記>いちおう国葬論側の根拠も挙げておくと国際的要人が弔問する葬儀となるので(個人でできる筈も無く)「国葬だね」、というものです。<ジャスコ岡田が内閣葬なら賛成して参列できた「安倍さんが可哀そう」などととぼけたことを言ってるようですが、そんな技術的な話ではないでしょ>
私はといえば
「安倍首相が好きだったヤクルトスワローズ、コロナで夏に調子崩して少し心配していたかもしれないけれど優勝したから(これがぴったり間に合った)」もうわからないと思うけど、そう伝えたい。
TVが無いのでよくわからないのだが、
番組表を見れば葬儀のやり方にあーでもないこーでもないと反対していた大手メディアが(NHKを含めて)こぞって放送している姿に驚くと言うか、嫌なら放送しなければいい。
そういうところだけは(それを放送して自らの収益にしているのだから)ちゃっかりしてる人達で
”恥も外聞もない”とはきっとこういうことを言うのかしら
安倍首相(米国式に”前”を外して”安倍首相”としています)葬儀に思う
2022年09月27日
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