個人的に「私は打たない、或いは打つでも」全然それでOKなんです
(ここは自己責任論だと思います)
しかし疫学上というか、医学的証明としてどちらがどうだと断言できません。
何故もかかしも、緊急事態でエビデンスも怪しいまま見切り発車した事案ですから仕方がありません。政治上の判断も「こうだろう、こうじゃないか」の賭けに近い判断で始めたことで、最初からぶっちゃけ責任取れないからって話であり、
少なくとも菅政権などの前後でワクチン導入が社会の動揺を抑えたのも事実。
(ワクチン開発スピードアップしたのは「ワープスピード政策」を打った保守派大好きトランプ大統領ですよ?)
※歴史的にこの判断がどうだったのかは、まだわからないんです。
「わからないことだ」←が事実、
故に、その判断は各個人に任されているということになります。
(医療資源的に)社会的責任ってところで言えば、
できれば”発症”しないように各人できることをって話になりますので(日本が集団免疫に舵を切っているのであれば”元気で状態のいい《発症しずらい》時にいっきに感染だけしてください”になりますが)、個人的利益としても(発症しない方が楽なのだから)
ワクチン打っても打たなくてもやるこたぁ同じだと。
※打たないで何度も発症して病院の世話になってると少々アレかなと(私は「打たずに発症もせず・周囲に感染も無し」なので接種派以上に医療資源確保に協力している自負がありますぜ)。
■なのでワクチンガーで分断級の論議になるのもどうしたものかと、
(反対派を検閲でBANするのは違いますよ、各人判断できるように賛成派・反対派双方の意見を本来政府も広報すべきぐらいの話《インフォームドコンセント政策ですよ》)
「正直どっちがいいのかわからないが、政府としてはこっちに賭けることにした(それで多数票を得ているのでこれは民主的選択です)」←国会答弁などで堂々とこう言ってしまえば一番わかりいいんだと思います。→《インフォームドコンセントを徹底していないからめんどくさいことになってるんです》「言えばこれ情報開示のこと」
河野大臣もワクチンの副作用を疑問視する記者をデマ呼ばわりはいかんよ、
ワクチン関係が自己責任論になる背景は簡単で(これいいとも悪いとも断言できない)
2023年01月06日
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