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フリーエコノミーの拡大が政治の現代的「民主主義」を牽引している

2023年02月14日

大手メディアの崩壊も、フリーランス含む個人メディアの台頭によってですから。
現状、既得権的に大手メディアそのものが全社倒産することはあり得ませんが「AI通信社」が台頭すると本格的にヤバイでしょう。
個人メディアとなると、意見の集約がどうなるって→「バラバラになります」=人の数だけ意見があるのですからそれが民主主義です。「コンセンサスとしての世論」みたいなものがどうなっていくのか、それはわかりませんが”バラバラの意見”も生活上の合理性にどうしたって収束していきますから(その違いってのも細かいディティールで→大きな枠組みはいくつかに限定される《詳しくは後述》)、言うほど心配いらないのです。

だって、あれですよ、
「喫茶店や飲み屋で”素人が政治や世相を井戸端会議的に語るのは(社会がバラバラになるので)危険だ”なんて話が過去にありましたか?」《喧嘩にはなるかもしれませんけどね》
むしろ同調圧力の減衰で、「そういうものだじゃなくて、私はどの見解支持だろうか」という素朴な民主主義を台頭させることになります。近現代までの民主主義のイメージとは違ってくるでしょう(デモに代表されるような団体交渉的な組織化された”民意?”の行使では無く《民主化当初はどうしたってそうなります→何故なら最初は「(中身はバラバラでも)まず民主主義」を訴える運動になるからです》)。

その名のとおり(《圧力を受けないという意味の》自由主義を前提とした)、
「各個人が主権者として政策的選択を行使する現代的「民主主義」への変遷」です。
ブログにしてもyoutuberにしてもSNSにしても2chのような集合的掲示板にしても、豊かな先進国を背景に(社会全体が豊かになるほど個人所得が効用の限界に近づくため《限界効用》個々人が無償で活動する領域が増える)フリーエコノミーは拡大します。
《「票を金で買えなくなる」ってところも意味してます》
つまりフリーエコノミーの拡大無しに現代的「民主化」は拡大しません。

言うならフリーエコノミーは「全体主義的経済のアンチテーゼ」なのであり、
実はこの話、重厚長大商材から多品種個性化商材への経済シフト時から始まっているのです。
 ↑
しかしみなさんどうですか?
「車が多品種になったからと言って、あり得ない車の概念だらけでカオスになりましたか?《暴走族の改造だってだいたい予想の範囲に収まるじゃないですか》」
単純に「トーナメント方式の選択肢分岐の図柄で想像していただければわかると思います」
”上位概念”になるほどその選択肢は限られており、無限に分岐するのは細かいデイティールのところになるじゃないですか(いくらファッションが個性化しても、ギリシャローマ時代のスポーツ選手の正装みたいにペニスを革ひもで縛った装束で歩いている人いますか?ww)、
 ↓
●つまり、仮に勝負事であれば最上位の分岐は「勝つか負けるか引き分けか」の3つの選択肢しかなく、各論に行くに従って(どう負けた、どこで勝った、あの戦術がどうしたなど)無限に分岐し各論への拘りは尊重されてもその上位概念は経験的結論に自動的に集約されると言うことです(近現代の一から十まで物語仕立てでメディアが事実関係を誘導するようなことが減少するだけ)。←むしろ「総論賛成」の部分は近現代よりスムースに議決する可能性だってあります(所謂中道路線とか穏健派という概念)。

つまり、フリーエコノミーで世論がバラバラになると言っても、
「ある程度の総論大賛成、各論は限りなく反対」←こんな感じの分化にしかなりようがないのです。
しかも”ある程度の総論大賛成”は近現代の経験値からより洗練されてますから【常に合理性の幅のどこかには収まる】ことになります(心理学的に言えば「反動形成」も起き難い)。
法制度ってのが最低限度の管理や制限を原則に制定していけば、
意見の個別化がどんどん促進されても、何ら問題は無いのです(バラバラにはなりません)。



posted by kagewari/iwahara at 17:58 | TrackBack(0) | 暮らしの心理学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする


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