■都内のタワーも大概だが、地方の不動産開発には根本的な問題がある。
(財務省も道路工事などの補助金なり地方債発行を個別に路線価の比率に応じるなどの法規制かける手があったかもしれない)
必要の無い広さの区画(=公道との接道考えると100%住戸の床面積は大きくなる:公共交通機関駅からの徒歩距離がどこもかしこも遠くなる)、世帯の所得や資産に余裕が無い地域性があるのに、オンボロ古築小規模テナント物件が絶望的に皆無である。地元商店街が形成されないので地域住民は郊外型の大規模店に行くしかない。=自家用車も必須となり「更に一テナントが必要とする敷地面積は広くなる」=個人で店を始めるというか採算ベースに乗る計画を建てようが無い。
結果として全国展開しているFC店などの独壇場となり地域性は自然現象で後退、
(これじゃ地銀もやることないだろ)
輪をかけて、高度経済成長時代には地元建設業者に金を落とすなら大規模工事であればよいほどよかったワケで(底地資産価値に見合わない上物をどんどん造った)、行政区画もいちいち大きすぎて”明らかに行政庁舎がコンパクトシティを妨害している”。
※東京都心が暮らしやすいのは(区画整理すらおぼつかない地域もあるからね)古くから人が暮らし、地権者の発言力も大きいからなのだろう(再開発が容易では無い)。
■どうしてこうなったって、古くは田中角栄先生のおかげなのかもしれないけれど、
経済学的にあり得ない公共投資があると、自動的に地元民間の活動に何らかのしわ寄せが行くのであり、更にこれを商品券やら補助金行政方式で支援すると「経済の自然回復力が(効率のいいところで均衡しようとすること)失われてしまう」→多数人が暮らしている区画なのに何故だか著しく過疎って見えるのは、このアンバランスさが歪に見えるからではなかろうか。
私は(レッセフェールな)古典経済学支持者ではありませんが、
公共投資にも程度の問題があるのであり(市場原理を壊してしまっては意味が無い)、
直接所得分配政策のが市場経済への影響が少ないのは間違いない。
(といってもベーシックインカムなどはマイナンバーや電子決済などの技術革新あっての効率的分配なので、それを角栄先生の時代に思いつけいうのは不可能ですからね。)